・・・というほど思い込んだ女があんな下司な引摺だとは信じられなかった。女の写真屋の話はそれ切で、その後コッチから水を向けても「アレは空談サ」とばかり一笑に附してしまったから今以て不可解である。二葉亭は多情多恨で交友間に聞え、かなり艶聞にも富んでい・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・「どうして、あんなところにさしておいたんでしょうね。」「あとから、こっちへとんでくるお友だちに知らせる目印にしたのかもしれませんね。それでなければ、あまり赤くてきれいな実だから、食べるのが惜しくてしまっておいたのかもしれません。そし・・・ 小川未明 「赤い実」
・・・ね、酔ってるものだからヒョロヒョロして、あの大きな体を三味線の上へ尻餅突いて、三味線の棹は折れる、清元の師匠はいい年して泣き出す、あの時の様子ったらなかったぜ、俺は今だに目に残ってる……だが、あんな元気のよかった父が死んだとは、何だか夢のよ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ああ、わしはどうして孫をあんな恐ろしい所へ遣ったんだろう。なぜ、皆様方は梨の実が欲しいなどと無理な事を仰しゃったのです。可哀そうに、わたくしのたった一人の孫は、こんな酷たらしい姿になってしまいました。ああ、可哀そうに。可哀そうに。」 爺・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・――私あんな教養のない人と一緒になって、ほんまに不幸な女でしょう? そやから、お習字やお花をして、慰めるより仕方あれしません。ところが、あの人はお習字やお花の趣味はちょっともあれしませんの」「お茶は成さるんですか」「恥かしいですけど・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・なあにね、明日あたり屹度母さんから金が来るからね、直ぐ引越すよ、あんな奴幾ら怒ったって平気さ」 膳の前に坐っている子供等相手に、斯うした話をしながら、彼はやはり淋しい気持で盃を嘗め続けた。 無事に着いた、屹度十日までに間に合せて金を・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・「うちでくれたけど、一服五銭でな、……あんなものなんぼ飲んでもきかせん」 喬はそんな話を聞きながら、頭ではS―という男の話にきいたある女の事を憶い浮かべていた。 それは醜い女で、その女を呼んでくれと名を言うときは、いくら酔ってい・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・となだむる善平に反りを返して、綱雄はあくまできっとしていたりしが、いや私はあんな男と交わろうとは決して思いません。見るから浮薄らしい風の、軽躁な、徹頭徹尾虫の好かぬ男だ。私は顔を見るのもいやです。せっかく楽しみにしてここへ来たに、あの男のた・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と、上田は冷ややかに笑います、鷹見は、「イヤ、あんな男に限って、女にかあいがられるものサ、女の言いなりほうだいになっていて、それでやはり男だから、チョイと突っ張ってみる、いわゆる張りだね、女はそういうふうな男を勝手にしたり、また勝手にさ・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・を知っていたらあんな純な、憧憬に満ちた作は書けなかったろうと思う。世の多くの人たちがあれを好くのは、自分たちが世間にもまれて失っている純情をあの作を読むと回復するような気がするからではあるまいか。ところが私の精進はまたあべこべで世間と現実と・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
出典:青空文庫