・・・「あの時、角力を見にやったらよかったんじゃ!」「あんな短い独楽の緒を買うてやらなんだらよかったのに!――緒を柱にかけて引っぱりよって片一方の端から手がはずれてころんだところを牛に踏まれたんじゃ。あんな緒を買うてやるんじゃなかったのに・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・のようなあんなのならば言語体を取った丈の甲斐もあると云うような評が所々に聞えた事は記臆しています。私等もそういう評をもっともだと聞いて居った一人であります。明治の言語体文章に就ての美妙齋君の功績は十二分に之を認めなければならぬのでありますが・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・然し母親は、駐在所の旦那が云っているように、あんな恐ろしいことをした息子の面倒を見てくれるという不思議な人も世の中にはいるもんだと思って、何んだか訳が分らなかった。然しそれでも帰るときには何べんも何べんもお辞儀した。――お安は長い間その人か・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・と、私に言ってみせたある婆さんもある。あんな言葉を思い出して見るのも堪えがたかった。「とうさん、どこへ行くの。」 ちょっと私が屋外へ出るにも、そう言って声を掛けるのが次郎の癖だ。植木坂の下あたりには、きまりでそのへんの門のわきに立ち・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それに、あんな年取った王さまが、あの若い美しい王女をお嫁にしようとなさるのだから、王女がおいたわしくてたまらない。殺されてしまえばそういうことも見ないですむから、ちょうど幸だ。」 こう言って、しょんぼりしていました。馬はそれを聞いて、・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・お前さんもあんな男を亭主に持てば好かったのだわ。何を笑うの。それにね、あの人は堅いのよ。わたしより外の女に関係していないということは、わたし受け合っても好いの。なぜ笑うの。いつかもわたしに打ち明けて話したわ。そら。わたしが諾威へ旅稼に行った・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・「まあ、でも、あんなところさ。そりゃもう、僕にくらべたら、どんな男でも、あほらしく見えるんだからね。我慢しな。」「そりゃ、そうね。」 娘さんは、その青年とあっさり結婚する気でいるようであった。 先夜、私は大酒を飲んだ。いや、・・・ 太宰治 「朝」
・・・伯爵中尉の気まぐれも非常であるが、小さい銀行員の僥倖も非常である。あんな結構な旅行を、何もあのチルナウエルにさせないでも好さそうなものだ。誰だって同じ旅行が出来たら、あの男よりは有利にそれをし遂げるだろうに。 チルナウエルの旅程が遠くな・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・と云ったら、寝衣を畳みながら「マア可哀相にあの人も御かみさんの居た頃はあんなでもなかったんですけれど」と何か身につまされでもしたようにしみじみと云った。自分はそれに答えず縁側の柱に凭れたまま、嵐も名残と吹き散る白雲の空をぼんやり眺めていた。・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・以布利 バタク語で「イフル」は前同様突端でこれが津呂に近くあるのは面白い。足褶 「アツイ」海「ツリ」突出。すなわち海中に突き出る義か。安和 「アパ」入口。または海上より見た河口。阿波国名もあるいは同じか。五百蔵 「イウォロ」・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
出典:青空文庫