・・・所詮はグロチック好みの戯作者気質だと言えば言えるものの、しかしただそれだけではなかった。が、その理由は家人には言えない。 阿部定――東京尾久町の待合「まさき」で情夫の石田吉蔵を殺害して、その肉体の一部を斬り取って逃亡したという稀代の妖婦・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そうした外敵からは彼らは安全であったと言えるのである。しかし毎日たいてい二匹宛ほどの彼らがなくなっていった。それはほかでもない。牛乳の壜である。私は自分の飲みっ放しを日なたのなかへ置いておく。すると毎日決まったようにそのなかへはいって出られ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 一分間で言える、僕と或少女と乙な中になった、二人は無我夢中で面白い月日を送った、三月目に女が欠伸一つした、二人は分れた、これだけサ。要するに誰の恋でもこれが大切だよ、女という動物は三月たつと十人が十人、飽きて了う、夫婦なら仕方がないから結・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・だから、傷が癒えると、少尉から上司へいい報告がして貰える。看護卒には、看護卒なりに、そういう自信があった。 彼等は、愉快な、幸福な気分を味わいながら駐屯地へ向って引き上げて行った。 大隊長は、司令部へ騎馬伝令を発して、ユフカに於ける・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 而も前に言えるが如く、斯かる天稟・素質を享け、斯かる境界・運命に遇い得る者は、今の社会には洵とに千百人中の一人で、他は皆不自然の夭死を甘受するの外はない、縦令偶然にして其寿命のみを保ち得ても、健康と精力とが之に伴わないで、永く窮困・憂・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・坊やは、来年は四つになるのですが、栄養不足のせいか、または夫の酒毒のせいか、病毒のせいか、よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く足許さえおぼつかなく、言葉もウマウマとか、イヤイヤとかを言えるくらいが関の山で、脳が悪いのではないかとも思わ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人より二月おそく生れているのだ。若さに変りは無い筈だ。それでも私は堪えている。あの人ひとりに心を捧げ、これ迄どんな女にも心を動かした・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・弓は初段をとっていたが、これは趣味と言えるかどうか。じゃんけんさえ、はっきりは知らなかった。石よりも鋏が強いと、間違って覚えている。そんな有様であるから、映画のことなどあまり知らなかった。毎日、毎日、訪問客たちの接待に朝から晩までいそがしく・・・ 太宰治 「花燭」
・・・その蛆がきれいに膿をなめつくしてきずが癒える。そういう場合のあることは昔からも知られていたであろうが、それが欧州大戦以後、特に外科医の方で注意され問題にされ研究されて、今日では一つの新療法として、特殊な外科的結核症や真珠工病などというものの・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・こういう大規模の大地震に比べると先年の関東地震などはむしろ局部的なものとも言える。今後いつかまたこの大規模地震が来たとする。そうして東京、横浜、沼津、静岡、浜松、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島から福岡へんまで一度に襲われたら、その時はいった・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
出典:青空文庫