・・・高峰がそのころはまだ医科大学に学生なりしみぎりなりき。一日予は渠とともに、小石川なる植物園に散策しつ。五月五日躑躅の花盛んなりし。渠とともに手を携え、芳草の間を出つ、入りつ、園内の公園なる池を繞りて、咲き揃いたる藤を見つ。 歩を転じてか・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・獅子浜在の、良介に次吉という親子が、気を替えて、烏賊釣に沖へ出ました。暗夜の晩で。――しかし一尾もかかりません。思切って船を漕戻したのが子の刻過ぎで、浦近く、あれ、あれです、……あの赤島のこっちまで来ると、かえって朦朧と薄あかりに月がさしま・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・それだけにまた娘の、世馴れて、人見知りをしない様子は、以下の挙動で追々に知れようと思う。 ちょうどいい。帰省者も故郷へ錦ではない。よって件の古外套で、映画の台本や、仕入ものの大衆向で、どうにか世渡りをしているのであるから。「陽気も陽・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・晩飯の烏賊と蝦は結構だったし、赤蜻蛉に海の夕霧で、景色もよかったが、もう時節で、しんしんと夜の寒さが身に沁みる。あすこいら一帯に、袖のない夜具だから、四布の綿の厚いのがごつごつ重くって、肩がぞくぞくする。枕許へ熱燗を貰って、硝子盃酒の勢で、・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・それでも僕は十六日の午後になって、何とはなしに以下のような事を巻紙へ書いて、日暮に一寸来た民子に僕が居なくなってから見てくれと云って渡した。 朝からここへ這入ったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもなら・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・狂歌師としては無論第三流以下であって、笑名の名は狂歌の専門研究家にさえ余り知られていないが、その名は『狂歌鐫』に残ってるそうだ。 喜兵衛は狂歌の才をも商売に利用するに抜目がなかった。毎年の浅草の年の市には暮の餅搗に使用する団扇を軽焼の景・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 今日の女の運動は社交の一つであって、貴婦人階級は勿論だが、中産以下、プロ階級の女の集まりでもとかくに着物やおつくりの競争場になりがちであるが、その頃のキリスト教婦人は今の普通の婦人は勿論、教会婦人と比べても数段ピューリタニックであって・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・六章二十節以下二十六節まで、馬太伝のそれよりも更らに簡潔にして一層来世的である。隠れたるものにして顕われざるは無しとの強き教訓。十二章二節より五節まで、明白に来世的である。キリストの再臨に関する警告二つ。同十二章三十五節以下四十八節・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
古来例のない、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。 ロシアの医科大学の女学生が、ある晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名も何も書いてない。「あなたの御関係・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・折柄、悪いところへ巡査が通り掛っても、丹造はひるまず折合ったところで、一円以下ではなかなかケリをつけなかった。当時、溝の側から貝塚まで乗せて三十六銭が相場で、九十銭くれれば高野山まで走る俥夫もざらにいた。 しかし、間もなく朦朧俥夫の取締・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫