・・・二度と外国へふらつき出さぬようなものとして完全にロシアへかえって来たのはツルゲーネフが遺骸となった時であった。 当時のロシア作家としては全く特殊なパリへの半移民的生活をもってツルゲーネフが一生を終るに至った動機は、抑々何であったのであろ・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・四月二十八日にはそれまで館の居間の床板を引き放って、土中に置いてあった棺を舁き上げて、江戸からの指図によって、飽田郡春日村岫雲院で遺骸を荼だびにして、高麗門の外の山に葬った。この霊屋の下に、翌年の冬になって、護国山妙解寺が建立せられて、江戸・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・の御代に、蒲生殿申され候は、細川家には結構なる御道具あまた有之由なれば拝見に罷出ずべしとの事なり、さて約束せられし当日に相成り、蒲生殿参られ候に、泰勝院殿は甲冑刀剣弓鎗の類を陳ねて御見せなされ、蒲生殿意外に思されながら、一応御覧あり、さて実・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・然るところ松向寺殿御遺骸は八代なる泰勝院にて荼だびせられしに、御遺言により、去年正月十一日泰勝院専誉御遺骨を京都へ護送いたし候。御供には長岡河内景則、加来作左衛門家次、山田三右衛門、佐方源左衛門秀信、吉田兼庵相立ち候。二十四日には一同京都に・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 二十八日に三右衛門の遺骸は、山本家の菩提所浅草堂前の遍立寺に葬られた。葬を出す前に、神戸方で三右衛門が遭難当時に持っていた物の始末をした時、大小も当然伜宇平が持って帰る筈であったが、娘りよは切に請うて脇差を譲り受けた。そして宇平がそれ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・しかしそれ以外の事は、私のためには総て疑問である。私はこの疑問を徐々に解決しようと思った。只その中に急に知らなくてはならぬ事が一つある。それはF君の生活状態である。身の上である。 私はこう云った。「それは君のドイツ語を研究する相談相手に・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・しかし、もう一度考えて見ると、自分以外のものでもどんな大天才を昔から掘り起して来たところが、やはり書けない部分がそこにひそんでいることを感づいてくる。そうなると、作家というものはもう慎重な態度はとっていられるものではなくなってしまう。 ・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・それというのも、まだ知らぬその青年について、高田の説明が意外な興味を呼び起させるものだったからである。青年は栖方といって俳号を用いている。栖方は俳人の高田の弟子で、まだ二十一歳になる帝大の学生であった。専攻は数学で、異常な数学の天才だという・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ 己は戸を開けたが、意外の感に打たれて、閾の上に足を留めた。 ランプの点けてある古卓に、エルリングはいつもの為事衣を着て、凭り掛かっている。ただ前掛だけはしていない。何か書き物をしているのである。書いている紙は大判である。その側には・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・彼は物的価値以外を知らないためにすべてをこの価値によって律しようとし、最も厳粛な生の問題をさえもそういう心情の方へ押しつけて行きました。そういう罪過はいろいろな形で彼に報いに来ました。がしかし、彼はその苦悩の真の原因を悟る事ができないのでし・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫