・・・これには二人とも、勿論、異議のあるべき筈がない。そこで評議は、とうとう、また、住吉屋七兵衛に命じて銀の煙管を造らせる事に、一決した。 六 斉広は、爾来登城する毎に、銀の煙管を持って行った。やはり、剣梅鉢の紋ぢら・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。 近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しよう・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・道祖神は、それにも気のつかない容子で、「されば、恵心の御房も、念仏読経四威儀を破る事なかれと仰せられた。翁の果報は、やがて御房の堕獄の悪趣と思召され、向後は……」「黙れ。」 阿闍梨は、手頸にかけた水晶の念珠をまさぐりながら、鋭く・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・父にもその言葉には別に異議はないらしく見えた。 しかし彼は矢部の言葉をそのまま取り上げることはできなかった。六十戸にあまる小作人の小屋は、貸附けを受けた当時とどれほど改まっているだろう。馬小屋を持っているのはわずかに五、六軒しかなかった・・・ 有島武郎 「親子」
・・・それが分かれば、すべて閲し来った事の意義が分かる。自己が分かる。フレンチという自己が分かる。不断のように、我身の周囲に行われている、忙わしい、騒がしい、一切の生活が分かる。 はてな。人が殺されたという事実がそれだろうか。自分が、このフレ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・目的を失った心は、その人の生活の意義を破産せしめるものである。人生の問題を考察するという人にして、もしも自分自身の生活の内容を成しているところの実際上の諸問題を軽蔑し、自己その物を軽蔑するものでなければならぬ。自己を軽蔑する人、地から足を離・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ 予は今ここに文明の意義と特質を論議せむとする者ではないが、もし叙上のごとき状態をもって真の文明と称するものとすれば、すべての人の誇りとするその「文明」なるものは、けっしてありがたいものではない。人は誰しも自由を欲するものである。服従と・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ 島には鎌倉殿の定紋ついた帷幕を引繞らして、威儀を正した夥多の神官が詰めた。紫玉は、さきほどからここに控えたのである。 あの、底知れずの水に浮いた御幣は、やがて壇に登るべき立女形に対して目触りだ、と逸早く取退けさせ、樹立さしいでて蔭・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・「上げるために助けたのだから、これに異議はありません。浜は、それ、その時大漁で、鰯の上を蹈んで通る。……坊主が、これを皆食うか、と云った。坊主だけに鰯を食うかと聞くもいいが、ぬかし方が頭横柄で。……血の気の多い漁師です、癪に触ったから、・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 小宮山はわざとらしく威儀を備え、「そうだ、お前さんの名は何と云う。」「そうだは御挨拶でございますこと、私は名も何もございませんよ。」「いいえさ、何と云うのだ。」「お雪さんにお聞きなさいまし、貴方は御存じでいらっしゃるん・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
出典:青空文庫