・・・まだ六ツか七ツの時分、芝の増上寺から移ってこの伝通院の住職になった老僧が、紫の紐をつけた長柄の駕籠に乗り、随喜の涙に咽ぶ群集の善男善女と幾多の僧侶の行列に送られて、あの門の下を潜って行った目覚しい光景に接した事があった。今や Dmocrat・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ しかしわたしはこれがために幾多の日子と紙料とを徒費したことを悔いていない。わたしは平生草稿をつくるに必ず石州製の生紙を選んで用いている。西洋紙にあらざるわたしの草稿は、反古となせば家の塵を掃うはたきを作るによろしく、揉み柔げて厠に持ち・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・折から廻廊を遠く人の踏む音がして、罵る如き幾多の声は次第にアーサーの室に逼る。 入口に掛けたる厚き幕は総に絞らず。長く垂れて床をかくす。かの足音の戸の近くしばらくとまる時、垂れたる幕を二つに裂いて、髪多く丈高き一人の男があらわれた。モー・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・いわんや一国中になお幾多の小区域を分ち、毎区の人民おのおの一個の長者を戴てこれに服従するのみか、つねに隣区と競争して利害を殊にするにおいてをや。 すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢以来今日に至るま・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・その心的方面を云うと、この無益な心的要素が何れ程まで修練を加えたらものになるか、人生に捉われずに、其を超絶する様な所まで行くか、一つやッて見よう、という心持で、幾多の活動上の方面に接触していると、自然に、人生問題なぞは苦にせずに済む。で、こ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・西行のごときは幾多の新材料を容れたるところあるいはこの意義を解する者に似たれど、実際その歌を見ば百中の九十九は皆いつわりのたくみなるを知らん。趣味を自然に求め、手段を写実に取りし歌、前に『万葉』あり、後に曙覧あるのみ。 されば曙覧が歌の・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・多くの人は蕪村が漢語を用うるをもってその唯一の特色となし、しかもその唯一の特色が何故に尊ぶべきかを知らず、いわんや漢語以外に幾多の特色あることを知る者ほとんどこれなきに至りては、彼らが蕪村を尊ぶゆえんを解するに苦しむなり。余はここにおいて卑・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・矛盾の多い社会の現象の間では、軽蔑に価する態度が、功利的な価値を現してゆくことも幾多ある。そんなこといったって、あの人はあれで名声も金もえているという場合もあるが、現代の若い女のひとは、人生の評価をそこで終りにしてしまわないだけには人間とし・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・からのち幾多の人間形成の波瀾を経験して、いまジェネヴァに来ている。彼は国際革命家集団に属している。そして、ジェネヴァで、第一次ヨーロッパ大戦のはじまる前後のきわめて切迫した国際情勢にふれる。 やがて、第一次ヨーロッパ大戦にまきこまれたジ・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
出典:青空文庫