・・・これはすこぶる気まぐれ商売で、共同的にはけっして仕事ができない性質のものであります。幾らやかましい小言を云われても個人的にこつこつやって行くのが原則になっています。しかもその個人が気の向いた時でなければけっして働けない。また働かないというは・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・道徳に関係の無い文芸の御話をすれば幾らでもありますが、例えば今私がここへ立ってむずかしい顔をして諸君を眼下に見て何か話をしている最中に何かの拍子で、卑陋な御話ではあるが、大きな放屁をするとする。そうすると諸君は笑うだろうか、怒るだろうか。そ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ こいつでまた幾ら苦められたか知れん。これが人生観についての苦悶を呼起した大動機になってるんだ。即ちこんな苦痛の中に住んでて、人生はどうなるだろう、人生の目的は何だろうなぞという問題に、思想上から自然に走ってゆく。実に苦しい。従ってゆっくり・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・するような嫌いがあるが、つまり具体的の一箇の人じゃなくて、ある一種の人が人生に対する態度だ、而してその一種の人とは即ち文学者……必ずしも今の文学者ばかりじゃなく、凡そ人間在って以来の文学者という意味も幾らか含ませたつもりだ。だから今度の作で・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・それで貌の処だけは幾らか斟酌して隙を多く拵えるにした所で、兎に角頭も動かぬようにつめてしまう。つまり死体は土に葬むらるる前に先ずおが屑の嚢の中に葬むらるるのである。十四五年前の事であるが、余は猿楽町の下宿にいた頃に同宿の友達が急病で死んでし・・・ 正岡子規 「死後」
・・・今の瞬間に考えていられることが、きょう一日のうちにその幾らの部分実現されてゆくでしょう。 一、大体、ものを考える、ということを、私たちはこれまで大げさに、むずかしいことに思いすぎて来ていると思います。 あらゆるときに人間というものは・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・友子さんが幾ら我を張っても、とうとうお終いに勝ったのは、芳子さんの親切、よい心掛でした。 二年目の終業式がすんだ日、お家に帰ると政子さんは袴をはいたまま、芳子さんのお部屋に来ました。 そして芳子さんの前に坐ると、心から、「芳子さ・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・そのために日本の農村の貧困は甚しく農家から貧乏のために一年幾ら、二年幾らと前借金して工場に集められた小さな娘たちの生き血が搾られた。そして工場に二年ぐらい働いていると悪い労働条件のために肺病となるものの率が多く、その娘たちは田舎の家へかえっ・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・卓子は室の中央へ引出されて、上にパンや、腸詰、イクラを盛った皿が出ていた。底にぽっちり葡萄酒の入っている醤油の一升瓶がじかに傍の畳へ置いてある。ルイコフが、彼のマンドリンと一緒に下げて来たものだ。ルイコフとマリーナはさっき大論判をしたところ・・・ 宮本百合子 「街」
・・・ 紙切れを見ては、あやしい発音でイクラを買った。漬胡瓜を買った。 ハムを買った。 黒田君の買って来た樅の木は小ぢんまり植木鉢におさまり、しかも二寸ぐらいの五色のローソクを儀式どおり緑の枝々につけている。 灯がついたら銀のピラ・・・ 宮本百合子 「モスクワの姿」
出典:青空文庫