・・・ 祖母は、その孫より先に八十九歳の生涯を終ったが、生きているうちから、私はお祖父様には面目なくてと云っていたが、遺骨は祖父の墓へは入らず、足音を忍ばすようにしてお姑さんの人のうしろの方から入っていった。〔一九四〇年三月〕・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 舞鶴から東京へ入った引揚第一列車には六百四十一名、遺骨二柱と新聞は報じている。六百あまりの人は、それぞれ集団として自主的に行動したのに、たった一人不仕合わせな青年が姉と叔母とにつかまえられて列車にひきずりこまれる悲しい姿を反民主運動の・・・ 宮本百合子 「肉親」
・・・一人の家族もなくて、遺骨の処置が新日本文学会に相談されたと書いてある。譲原さんが死んだ。わたしが深いショックを感じたのは、去年の一月、二人でNHKから民主的文学について対談を放送したことがあったからであった。それから去年の夏、わたしが身体を・・・ 宮本百合子 「譲原昌子さんについて」
出典:青空文庫