・・・かつて世の批評家たちに最上級の言葉で賞讃せられた、あの精密の描写は、それ以後の小説の片隅にさえ、見つからぬようになりました。次第に財産も殖え、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角の交際をして、六十・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・て人間の娯楽にはすこしく風流の趣向、または高尚の工夫なくんば、かの下等動物などの、もの食いて喉を鳴らすの図とさも似たる浅ましき風情と相成果申すべく、すなわち各人その好む所に従い、或いは詩歌管絃、或いは囲碁挿花、謡曲舞踏などさまざまの趣向をこ・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・かれは未だ二十二歳の筈であるが、その、本郷の下宿屋の一室に於いて、端然と正座し、囲碁の独り稽古にふけっている有様を望見するに、どこやら雲中白鶴の趣さえ感ぜられる。時々、背広服を着て旅に出る。鞄には原稿用紙とペン、インク、悪の華、新約聖書、戦・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・ これだけのわずかな要点を抽出して考えても歌麿以前と以後の浮世絵人物画の区別はずいぶん顕著なものである。 たとえば豊国などでも、もう線の節奏が乱れ不必要な複雑さがさらにそれを破壊している。試みに豊国の酒樽を踏み台にして桜の枝につ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・「囲碁」や「能楽」のように西洋人に先鞭をつけられないうちにだれか早く相撲の物理学や生理学に手をつけたらどうかと思うのである。 相撲の歴史については相当いろいろな文献があると見えて新聞雑誌でそれに関する記事をしばしば見かけるようであるが、・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・ 谷中天王寺は明治七年以後東京市の墓地となった事は説くに及ぶまい。墓地本道の左右に繁茂していた古松老杉も今は大方枯死し、桜樹も亦古人の詩賦中に見るが如きものは既に大抵烏有となったようである。根津権現の花も今はどうなったであろうか。 ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・それは殆ど毎日のよう、父には晩酌囲碁のお相手、私には其頃出来た鉄道馬車の絵なぞをかき、母には又、海老蔵や田之助の話をして、夜も更渡るまでの長尻に下女を泣かした父が役所の下役、内證で金貸をもして居る属官である。父はこの淀井を伴い、田崎が先に提・・・ 永井荷風 「狐」
・・・の壁画の下に、五ツ紋の紳士や替り地のフロックコオトを着た紳士が幾組となく対座して、囲碁仙集をやっている。高い金箔の天井にパチリパチリと響き渡る碁石の音は、廊下を隔てた向うの室から聞えて来る玉突のキュウの音に交わる。初めてこの光景に接した時自・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから吾日本といえども昔からそう・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ カント以後、主観的自己の立場を否定して、純なる論理的立場に立った人は、ヘーゲルである。フィヒテが「自己が自己である」Ich-Ich という立場から出立したのに反して、ヘーゲルは「有」から出立した。ヘーゲルの哲学は、自己自身によってあり・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
出典:青空文庫