・・・として読まなければ了解らない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係わる約束である、聖書は約束附きの奨励である、慰藉である、警告である、人はイエスの山上・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・それだのにこうして医者にも見せずにしかも幼児の守をさして置くのは畢竟貧しいが為ではなかろうか。人は境遇によって自然と奮闘する力の強弱がある。此児は果して生を保ち得ようか? ある静かな日の午後である。此家から老女の声と若い女の声とが聞えた。老・・・ 小川未明 「ある日の午後」
・・・此人生や自然はどんな人にも感激を与え慰藉を与えまた苦痛や悲嘆を与えている。そうして瞬時も人間にその姿の全体を掴ませない。然しその中には何か知ら我々を引摺って行く所の力がある。それは即ち現実そのものに外ならない。我々が永久に此の現実を究めつく・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・シッカリしているし、おまけに上さんは美しいし、このまま行けば天下泰平吉新万歳であるが、さてどうも娑婆のことはそう一から十まで註文通りには填まらぬもので、この二三箇月前から主はブラブラ病いついて、最初は医者も流行感冒の重いくらいに見立てていた・・・ 小栗風葉 「深川女房」
医者に診せると、やはり肺がわるいと言った。転地した方がよかろうということだった。温泉へ行くことにした。 汽車の時間を勘ちがいしたらしく、真夜なかに着いた。駅に降り立つと、くろぐろとした山の肌が突然眼の前に迫った。夜更け・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・あと十日と迫ったおせいの身体には容易ならぬ冒険なんだが、産婆も医者もむろん反対なんだが、弟につれさせて仙台へやっちまう。それから自分は放浪の旅に出る。 仙台行きには、おせいもむろん反対だった。そのことでは「蠢くもの」時分よりもいっそう険・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・おくれて午後十一時頃になる。此時はオートミルやうどんのスープ煮に黄卵を混ぜたりします。うどんは一寸位に切って居りました。 食事は普通人程の分量は頂きました。お医者様が「偉いナー私より多いがナー」と言われる位で有りました。二十日ばかり心臓・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 彼は往来で医者の看板に気をつける自分を見出すようになった。新聞の広告をなにげなく読む自分を見出すようになった。それはこれまでの彼が一度も意識してした事のないことであった。美しいものを見る、そして愉快になる。ふと心のなかに喜ばないものが・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・身を切るような風吹きて霙降る夜の、まだ宵ながら餅屋ではいつもよりも早く閉めて、幸衛門は酒一口飲めぬ身の慰藉なく堅い男ゆえ炬燵へ潜って寝そべるほどの楽もせず火鉢を控えて厳然と座り、煙草を吹かしながらしきりに首をひねるは句を案ずるなりけり。・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・まもなく近所の医者が来る事は来た。診察の型だけして「もう脈がない。」と言ったきり、そこそこに行ってしまった。「弁公しっかりしな、おれがきっとかたきを取ってやるから。」と親方は言いながら、財布から五十銭銀貨を三四枚取り出して「これで今夜は・・・ 国木田独歩 「窮死」
出典:青空文庫