・・・「文部大臣が文部大臣の意見として、小生を学位あるものと御認めになるのはやむをえぬ事とするも、小生は学位令の解釈上、小生の意思に逆って、御受をする義務を有せざる事を茲に言明致します。「最後に小生は目下我邦における学問文芸の両界に通ずる・・・ 夏目漱石 「博士問題の成行」
・・・だから忠臣でも孝子でももしくは貞女でも、ことごとく完全な模範を前へおいて、我々ごとき至らぬものも意思のいかん、努力のいかんに依っては、この模範通りの事ができるんだといったような教え方、徳義の立て方であったのです。もっとも一概に完全と云いまし・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・また他の人は意思の発現に伴う荘厳の情緒を得なければ、文芸上のあるものを味うた気がしないとまで主張するかも知れない。これらの時代もこれらの人々もことごとく正しいのであります。また四種のいずれでも構わないと云う人があれば、その人の趣味はもっとも・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・然るに未だ一年をも経ない中に、眼を疾んで医師から読書を禁ぜられるようになった。遂にまた節を屈して東京に出て、文科大学の選科に入った。当時の選科生というものは惨じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じた。学校を卒えてからす・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・我々の意志的自己、実践的自己を含むものではない。ヘーゲルの理性は、個人的意志的自己に対立したものである。それだけ主観的である。真に我々の意志的自己の自覚の立場において把握せられた実在の原理ではない。それは我々の知的自覚的自己の原理と考え得る・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・つまりその本当の装幀は、一切読者自身の自由意志に任かすのである。それによつて読者は、正に彼自身の理解した「彼自身の著者」を、いつも「彼自身の趣味」によつて自由に完全に装幀することができるであらう。かくてこそ書物の著者は、正に読者の生活に「活・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・私は自分の養生に注意し始めた。そして運動のための散歩の途中で、或る日偶然、私の風変りな旅行癖を満足させ得る、一つの新しい方法を発見した。私は医師の指定してくれた注意によって、毎日家から四、五十町の附近を散歩していた。その日もやはり何時も通り・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・それは全く、私の知らない何所かの美しい町であった。街路は清潔に掃除されて、鋪石がしっとりと露に濡れていた。どの商店も小綺麗にさっぱりして、磨いた硝子の飾窓には、様々の珍しい商品が並んでいた。珈琲店の軒には花樹が茂り、町に日蔭のある情趣を添え・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・私は一応考えた上、彼女の眼が私の動作に連れて動いたのは、ただ私がそう感じた丈けなんだろう、と思って、よく医師が臨終の人にするように彼女の眼の上で私は手を振って見た。 彼女は瞬をした。彼女は見ていたのだ。そして呼吸も可成り整っているのだっ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 安岡は故郷のあらゆる医師の立ち会い診断でも病名が判然しなかった。臨終の枕頭の親友に彼は言った。「僕の病源は僕だけが知っている」 こう言って、切れ切れな言葉で彼は屍を食うのを見た一場を物語った。そして忌まわしい世に別れを告げてし・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫