震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。淡島寒月の向島の旧庵の如きその一つである。今ではその跡にバラック住いをして旧廬の再興を志ざしているが、再興されても先代の椿岳の手沢の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・今に身延山に思恩閣として遺跡がある。「父母は今初めて事あらたに申すべきに候はねども、母の御恩の事殊に心肝に染みて貴くおぼえ候。飛鳥の子を養ひ、地を走る獣の子にせめられ候事、目も当てられず、魂も消えぬべくおぼえ候。其につきても母の御恩忘れ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・現に生きて活動している文人にゆかりのある家をこういうふうにしてあたかも古人の遺跡のように仕立ててあるのもやはりちょっと珍しいような気がする。 天守台跡に上っているとどこかでからすの鳴いているのが「アベバ、アベバ」と聞こえる。こういうから・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・歴史上の遺蹟や古美術品の案内や紹介ならばともかく、科学上の権威においてはそのような ambiguity はあり得べからざる事ではないかという人があるだろうが、不幸にして科学上の事柄でも畢竟五十歩百歩である。 権威というのは元来相対的なも・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・この際や読書訳文の法、ようやく開け、諸家翻訳の書、陸続、世に出ずるといえども、おおむね和蘭の医籍に止まりて、かたわらその窮理、天文、地理、化学等の数科に及ぶのみ。ゆえに当時、この学を称して蘭学といえり。 けだしこの時といえども、通商の国・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・ AはA家の戸主で、移籍が出来得ない。それならば私は、もうA家の者になったのだから、良人の家に移るのが当然であり、Aが、結婚した以上、其位の責任は持つ覚悟だろうと、母上が提議されたのであった。 今、その時分のことを思い出すと、自分は・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・ 少し感じは異なるが、大阪城もまた古い時代を記念する大きい遺跡である。中の嶋あたりに高層建築が殖えれば殖えるほど、大阪城の偉大さは増して来る。そうしてそれは、江戸城の場合とは異なって、まず何よりもあの石垣の巨石にかかっている。あの巨石は・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・ばらしさを持っていたせいでもあるが、またそのすばらしさを突然われわれの目の前に持って来てくれた名取君の手腕、というのは、あまり前触れもなしにたった一人で出かけて行って、たった三日の間にあの巨大な岩山の遺蹟を、これほどまでにはっきりと、捕えて・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫