発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・仏国革命が民衆のための革命として勃発したにもかかわらず、ルーソーやヴォルテールなどの思想が縁になって起こった革命であっただけに、その結果は第三階級者の利益に帰して、実際の民衆すなわち第四階級は以前のままの状態で今日まで取り残されてしまった。・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・そして飽きたら以前に帰るさ。A しかし厭だね。B 何故。おれと一緒が厭なら一人でやっても可いじゃないか。A 一緒でも一緒でなくても同じことだ。君は今それを始めたばかりで大いに満足してるね。僕もそうに違いない。やっぱり初めのうちは・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ その時、もう、これをして、瞬間の以前、立花が徒に、黒白も分かず焦り悶えた時にあらしめば、たちまち驚いて倒れたであろう、一間ばかり前途の路に、袂を曳いて、厚いふきを踵にかさねた、二人、同一扮装の女の童。 竪矢の字の帯の色の、沈んで紅・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・主人も、非常に閉口したので、警察署へも依頼した、警察署の連中は、多分その家に七歳になる男の児があったが、それの行為だろうと、或時その児を紐で、母親に附着けておいたそうだけれども、悪戯は依然止まぬ。就中、恐ろしかったというのは、或晩多勢の人が・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・しかし自殺者その人の身になったならば、われとわれを殺すその実劇よりは、自殺を覚悟するに至る以前の懊悩が、遥かに自殺そのものよりも苦しいのでなかろうか。自殺の凶器が、目前に横たわった時は、もはや身を殺す恐怖のふるえも静まっているのでなかろうか・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・嫁にいこうがどうしようが、民子は依然民子で、僕が民子を思う心に寸分の変りない様に民子にも決して変りない様に思われて、その観念は殆ど大石の上に坐して居る様で毛の先ほどの危惧心もない。それであるから民子は嫁に往ったと聞いても少しも驚かなかった。・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・その時、僕は、毛穴の立っているおからす芸者を男にしてしまっても、田島を女にして見たいと思ったくらいだから、僕以前はもちろん、今とても、吉弥が実際かれと無関係でいるとは信じられなくなった。どうせ、貞操などをかれこれ言うべきものでないのはもちろ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・屋号を淡島屋といったのは喜兵衛が附けたのか、あるいは以前からの屋号であったか判然しない。商牌及び袋には浅草御門内馬喰町四丁目淡島伊賀掾菅原秀慶謹製とあった。これが名物淡島軽焼屋のそもそもであった。二 江戸名物軽焼――軽焼と疱瘡痲疹・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・地震の火事で丸焼けとなったが、再興して依然町内の老舗の暖簾といわれおる。 椿岳の米三郎は早くから絵事に志ざした風流人であって、算盤を弾いて身代を肥やす商売人肌ではなかった。初めから長袖を志望して、ドウいうわけだか神主になる意でいたのが兄・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫