・・・ 日蓮は一時難を避けて、下総中山の帰衣者富木氏の邸にあって、法華経を説いていた。 六 相つぐ法難 日蓮の闘志はひるまなかった。百日の後彼は再び鎌倉に帰って松葉ヶ谷の道場を再興し、前にもまして烈々とした気魄をもって・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・皺も一時に、故意につけられたものだ。 郵便局では、隣にある電信隊の兵タイが、すぐやってきて、札を透かしたり指でパチ/\はじいたりした。珍しそうにそれを眺め入った。「うまくやる奴もあるもんだね。よくこんなに細かいところまで似せられたも・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・この一事にも、おのずから戦争に対する態度と心持が伺われるような気がする。 このほか、徳田秋声、広津柳浪、小栗風葉、三島霜川、泉鏡花、川上眉山、江見水蔭、小杉天外、饗庭篁村、松居松葉、須藤南翠、村井弦斎、戸川残花、遅塚麗水、福地桜痴等は日・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットという処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まって以来最初に征服致しましょうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折って、そうして午後一時四十分に頂上へ着きましたのが、あの名・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・――それは日が暮れようとして、しかもまだ夜が来ていない一時の、すべてのものがその動きと音をやめている時だった。私はそのなごやかな監獄風景を眺めながら、たゞお湯の音だけをジャブ/\たてゝ、身体をこすっていた。ものみんなが静かな世界に、お湯のジ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・その時の私は再び起つこともできまいかと人に心配されたほどで、茶の間に集まる子供らまで一時沈まり返ってしまった。 どうかすると、子供らのすることは、病んでいる私をいらいらさせた。「とうさんをおこらせることが、とうさんのからだにはいちば・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 地震の、東京での発震は、九月一日の午前十一時五十八分四十五秒でした。それから引きつづいて、余震が、火災のはびこる中で、われわれのからだに感じ得たのが十二時間に百十四回以上、そのつぎの十二時間に八十八回、そのつぎが六十回、七十回と来まし・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 男の酔いは一時にさめた。「ありがとう。もう飲まない」「たんと、たんと、からかいなさい」「おや、僕は、僕は、ほんとうに飲んでいるのだよ」 あらためて娘の瞳を凝視した。「だって」娘は、濁りなき笑顔で応じた。「誓ったのだもの・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・この変っていないという一事こそ、真に驚嘆、敬服に価すべきものではないか。進歩していない、というと悪く聞えますが、退歩していないと言い直したらどうでしょう。退歩しないという事は、之はよほどの事なのです。 修業という事は、天才に到る方法では・・・ 太宰治 「炎天汗談」
・・・という一事であった。馬鹿な男ではないか。一点にごらぬ清らかの生活を営み、友にも厚き好学の青年、創作に於いては秀抜の技量を有し、その日その日の暮しに困らぬほどの財産さえあったのに、サラリイマンを尊び、あこがれ、ついには恐れて、おのが知れる限り・・・ 太宰治 「狂言の神」
出典:青空文庫