・・・子供らは N. L. D. の金文字を入れた黒リボン付きの紙帽子をかぶり、手んでに各国の国旗を持ち、楽隊の先導で甲板を一周した後に食卓についた。おとならはむしろうらやましそうに見物していた。……T氏と艙へはいって、カバンを出してもらって、ハ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・それからが病みつきでずいぶん熱心に句作をし、一週に二三度も先生の家へ通ったものである。そのころはもう白川畔の家は引き払って内坪井に移っていた。立田山麓の自分の下宿からはずいぶん遠かったのを、まるで恋人にでも会いに行くような心持ちで通ったもの・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 四 一週に一度永代橋を渡って往復する。橋の中ほどから西寄りの所で電車の座席から西北を見ると、河岸に迫って無骨な巌丈な倉庫がそびえて、その上からこの重い橋をつるした鉄の帯がゆるやかな曲線を描いてたれ下がっている。・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ 西洋の雑誌を見ると、日本に関した著述の広告は、一週に一、二冊はきっと出ている。近頃ではこれらの書籍を蒐集しただけでも優に相応の図書館は一杯になるだろうと思われる位である。けれども真の観察と、真の努力と、真の同情と、真の研究から成ったも・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・その声は堂の四壁を一周して、丸く組み合せたる高い天井に突き当ると思わるる位大きい。戦は固より近づきつつあった。ウィリアムは戦の近づきつつあるを覚悟の前でこの日この夜を過ごしていた。去れど今ルーファスの口から愈七日の後と聞いた時はさすがの覚悟・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・その代り下町へは滅多に出ない。一週に一二度出るばかりだ。出るとなると厄介だ。まず「ケニントン」と云う処まで十五分ばかり徒行いて、それから地下電気でもって「テームス」川の底を通って、それから汽車を乗換えて、いわゆる「ウエスト・エンド」辺に行く・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・廻了というは正方形を一周することなれどもその間には第一基第二基第三基等の関門あり各関門には番人(第一基は第一基人これを守る第二第三皆あるをもって容易に通過すること能わざる也。走者ある事情のもとに通過の権利を失うを除外という。審判官除外と呼べ・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・この早まわり競争の道づれも弟のクラウスであり、しかも早まわり記事を新聞におくり、あとから一冊にまとめて「欧洲一周」として本にした。 一九三〇年に入ってから、ヒトラーのナチスは総選挙で多数党となり、ドイツの全人民が知識階級をもこめて、その・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・二つの女学校の五年生が、このせつのしきたりにしたがって○○と書かれている工場へ、一週に一度ずつ交替に手伝いに出かけている。一つは市立の女学校であり、この場合の性質は、学校の経営的な原因より、むしろはっきり、戦時的認識を若い娘心に銘させようと・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・お風呂は石炭不足で一週に一度、しかも私はやっと、この頃たつ度に入るようになったばかしです。私の風呂好きがこの有様よ。シュトルムはおっしゃるとおりですから、ヘッセをみつけたいと思います。他に何があるか調べましょう。 十一月十三日 〔巣・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫