・・・而して神は我々の自己に神秘的原因たるを免れない。一体、デカルト哲学において原因というのは、自己自身によってあり、自己自身によって限定するものとして、スピノザのカウザ・スイという如きものであると思う。本質即存在、存在即本質の根柢という意義でな・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・かつて私は、こんな情趣の深い町を見たことがなかった。一体こんな町が、東京の何所にあったのだろう。私は地理を忘れてしまった。しかし時間の計算から、それが私の家の近所であること、徒歩で半時間位しか離れていないいつもの私の散歩区域、もしくはそのす・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・――一九二三、七、六―― 一 若し私が、次に書きつけて行くようなことを、誰かから、「それは事実かい、それとも幻想かい、一体どっちなんだい?」と訊ねられるとしても、私はその中のどちらだとも云い切る訳に行かない。私・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 万歳の声が其那一体――プラットフォームからも、停車場の中からも盛んに起ると間もなく汽車が着いたのでした。其時の混雑と云ったら、とても私の口では云えない、況して私は若子さんと一緒に夢中になって、御兄さんの乗って居らッしゃる列車を探したん・・・ 広津柳浪 「昇降場」
翻訳は如何様にすべきものか、其の標準は人に依って、各異ろうから、もとより一概に云うことは出来ぬ。されば、自分は、自分が従来やって来た方法について述べることとする。 一体、欧文は唯だ読むと何でもないが、よく味うて見ると、・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・それはあなたははにかんでいらっしゃる、わたくしはあなたを預託品のように思っていましたからでございます。一体わたくしは前から堅気な女で、今でも堅気でいるのでございますの。 お別れにお互に涙を飜したことは、まだ覚えていらっしゃって。お互に口・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ほんに世の中の人々は、一寸した一言をいうては泣き合ったり、笑い合ったりするもので、己のように手の指から血を出して七重に釘付にせられた門の扉を叩くのではない。一体己は人生というものについて何を知っているのだろう。なるほどどうやら己も一生という・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・芭蕉また凡兆に対して「俳諧もさすがに和歌の一体なり、一句にしおりあるように作すべし」といえるもこの間の消息を解すべきものあり。凡兆の句複雑というほどにはあらねど、また洒堂らと一般、句々材料充実して、かの虚字をもって斡旋する芭蕉流とはいたく異・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・だから悪く思わんで置け。一体盗森は、じぶんで粟餅をこさえて見たくてたまらなかったのだ。それで粟も盗んで来たのだ。はっはっは。」 そして岩手山は、またすましてそらを向きました。男はもうその辺に見えませんでした。 みんなはあっけにとられ・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ 彼の女も一度だか私の髪を埋めた事が有った事を思い出すとあんなものの手で埋められたのかと思うと髪の根元がムズムズする様だ。いやらしい。 一体秋になるといつもなら気が落ついて一年中一番冷静な頭になれる時なんだけれ共今年はそうなれない。・・・ 宮本百合子 「秋毛」
出典:青空文庫