・・・或時句作をする青年に会ったら、その青年は何処かの句会に蛇笏を見かけたと云う話をした。同時に「蛇笏と云うやつはいやに傲慢な男です」とも云った。僕は悪口を云われた蛇笏に甚だ頼もしい感じを抱いた。それは一つには僕自身も傲慢に安んじている所から、同・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・ その癖、お徳はその男の名前も知らなければ、居所も知らない。それ所か、国籍さえわからないんだ。女房持か、独り者か――そんな事は勿論、尋くだけ、野暮さ。可笑しいだろう。いくら片恋だって、あんまり莫迦げている。僕たちが若竹へ通った時分だって・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・ それから五、六年の間はその若者のいる所は知れていましたが、今は何処にどうしているのかわかりません。私たちのいいお婆様はもうこの世にはおいでになりません。私の友達のMは妙なことから人に殺されて死んでしまいました。妹と私ばかりが今でも生き・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・入口の右手に寝藁を敷いた馬の居所と、皮板を二、三枚ならべた穀物置場があった。左の方には入口の掘立柱から奥の掘立柱にかけて一本の丸太を土の上にわたして土間に麦藁を敷きならしたその上に、所々蓆が拡げてあった。その真中に切られた囲炉裡にはそれでも・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
この犬は名を附けて人に呼ばれたことはない。永い冬の間、何処にどうして居るか、何を食べて居るか、誰も知らぬ。暖かそうな小屋に近づけば、其処に飼われて居る犬が、これも同じように饑渇に困められては居ながら、その家の飼犬だというの・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・B 三度三度うまい物ばかり食わせる下宿が何処にあるもんか。A 安下宿ばかりころがり歩いた癖に。B 皮肉るない。今度のは下宿じゃないんだよ。僕はもう下宿生活には飽き飽きしちゃった。A よく自分に飽きないね。B 自分にも飽き・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ その麓まで見通しの、小橋の彼方は、一面の蘆で、出揃って早や乱れかかった穂が、霧のように群立って、藁屋を包み森を蔽うて、何物にも目を遮らせず、山々の茅薄と一連に靡いて、風はないが、さやさやと何処かで秋の暮を囁き合う。 その蘆の根を、・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 威厳犯すべからざるものある小山の姿を、しょぼけた目でじっと見ると、予言者の鼻は居所をかえて一足退った、鼻と共に進退して、その杖の引込んだことはいうまでもなかろう。 目もくれず判事は静にお米の肩に手を載せた。 軽くおさえて、しば・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 翌日取も置かず篠田を尋ねて、一部始終悉しい話を致しますると、省みて居所も知らさないでいた篠田は、蒼くなって顫え上ったと申しますよ。 これから二人連名で、小川の温泉へ手紙を出した。一週間ばかり経って、小宮山が見覚のあるかの肌に着けた・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・これかのお通の召使が、未だ何人も知り得ざる蝦蟇法師の居所を探りて、納涼台が賭物したる、若干の金子を得むと、お通の制むるをも肯かずして、そこに追及したりしなり。呼吸を殺して従い行くに、阿房はさりとも知らざる状にて、殆ど足を曳摺る如く杖に縋りて・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
出典:青空文庫