・・・も一つ要る。小さいけれども台にはなる。大丈夫だ。おれははだしで行こうかな。いいややっぱり靴ははこう。面倒くさい靴下はポケットへ押し込め、ポケットがふくれて気持ちがいいぞ。素あしにゴム靴でぴちゃぴちゃ水をわたる。これはよっぽどいいことにな・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・あんまり間には合わないけれどもとにかくその薬はわしの方では要るんでね。よし。いかにも承知した。証文を書きなさい。」 するとみんながまるで一ぺんに叫びました。「私もどうかそうお願いいたします。どうか私もそうお願い致します。」 お医・・・ 宮沢賢治 「ひのきとひなげし」
秋風が冷や冷やと身にしみる。 手の先の変につめたいのを気にしながら書斎に座り込んで何にも手につかない様な、それで居て何かしなければ気のすまない様な気持で居る。 七月からこっち、体の工合が良くない続きなので、余計寒が・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・熱が出ると悪いと思って家へ入る。 それでもまだ寒い。 かんしゃくが起る。 秋風が身にしみる。「ああああ夜になるのかなあ」と思うと急にあたりに気を配る――午後六時。 宮本百合子 「秋風」
・・・今日の世の中で勝手気儘に振舞うためには、それだけ金が要る。日本の労働組合は一生懸命に同じ労働に対する男女の同じ賃金を求めて闘かっているけれども、実際に婦人のとる給料はまだ男よりも少ない。しかし女の子の方が身なり一つにも金がかかる。絹の靴下は・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・しかし、純粋な誠実へのポーズに負けて、旧社会におけると同じ角度で、同じ性質の矢を放ったとしても、それはソヴェトの現実の的を射ることは出来ない。ソヴェトへの旅行において、ジイドは遂に客観的にソヴェトを語ることが出来ず、従来小説の人物をも理念で・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・芝居は訓練された技術者が要る。また照明がなくてはならぬし、場所がなければならぬ。ラジオなら中継すれば野の中へでもみんな固まって聴くことが出来、それに今は農村に於ける集団農場が文化の中心になっている。だから集団農場の倶楽部に皆キノだのラジオが・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・ 自立劇団が大変上手になったけれども新劇のあとを追っているという可能性があるように、絵画のような訓練の要る、材料に費用のかかる芸術では、職場といっても、そこの画家たちはいわゆる労働者ばかりではないでしょう。職場からの絵画のなかに、むしろ・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
・・・ 為事をしているうちに、急に暑くなったので、ふいと向うの窓を見ると、朝から灰色の空の見えていた処に、紫掛かった暗色の雲がまろがって居る。 同僚の顔を見れば、皆ひどく疲れた容貌をしている。大抵下顎が弛んで垂れて、顔が心持長くなっている・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・まだ猪之助といって、前髪のあったとき、たびたび話をしかけたり、何かに手を借してやったりしていた年上の男が、「どうも阿部にはつけ入る隙がない」と言って我を折った。そこらを考えてみると、忠利が自分の癖を改めたく思いながら改めることの出来なかった・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫