・・・ いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとから・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・従って普通人間の客観とは次第に縁の遠いものになり、言わば科学者という特殊な人間の主観になって来るような傾向がある。近代理論物理学の傾向がプランクなどの言うごとく次第に「人間本位の要素」の除去にあるとすればその結果は一面において大いに客観的で・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・それでからすうりの花は、言わば一種の光度計のようなものである。人間が光度計を発明するよりもおそらく何万年前からこんなものが天然にあったのである。 からすうりの花がおおかた開ききってしまうころになると、どこからともなく、ほとんどいっせいに・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・たくしは、前々から諦めはつけていた事でもあり、随分悠然として自分の家と蔵書の焼け失せるのを見定めてから、なお夜の明け放れるまで近隣の人たちと共に話をしていたくらいで、眉も焦さず焼けど一ツせずに済んだ。言わば余裕頗る綽々としたそういう幸福な遭・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・断るのが面白いからではなく、やむをえないからで、このやむをえない事が度重なって御気の毒なので、その結果今日やって来ました。言わば根くらべで根がつきて出て来たようなしまつであります。だから面白い御話も出来兼ねます。今からとにかく一時間ばかり御・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・その分量よりして言わば消極的美は美の半面にして積極的美は美の他の半面なるべし。消極的美をもって美の全体と思惟せるはむしろ見聞の狭きより生ずる誤謬ならんのみ。日本の文学は源平以後地に墜ちてまた振わず、ほとんど消滅し尽せる際に当って芭蕉が俳句に・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・今尋常の場合を言わば球は投者の手にありてただ本基に向って投ず。本基の側には必らず打者一人棒を持ちて立つ。投者の球正当の位置に来れりと思惟する時は(すなわち球は本基の上を通過しかつ高さ肩より高からず膝打者必ずこれを撃たざるべからず。棒球に触れ・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・これは今日にあって言わば時代の良心であり、或る本能であり、更に最も平凡で身近い日常の諸相が、おのずから、私たちの今日の裡によびさましている平凡であるが故に強い現実に対する判断力なのである。〔一九三七年十月〕・・・ 宮本百合子 「こわれた鏡」
・・・私との間の、言わば恋愛が進行して、自分で自分がわからなくなったと言うので幾分かでも私を愛していてくれたことを信じます。然し私が捕えられてから、比叡子は再び、私をすっかり離れて、左翼的な気持になってしまっています。法廷で、私の証人に立った時に・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・それも西洋の近頃の作品のように色彩の濃いものではない。言わば今まで遠慮し勝ちにしてあった物が、さほど遠慮せずに書いてあるという位に過ぎない。 自然主義の小説は、際立った処を言えば、先ずこの二つの特色を以て世間に現れて来て、自分達の説く所・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
出典:青空文庫