・・・そして手ひどく打ち負してしまいました。 そんなわけで、ディオニシアスはシラキュース中で第一ばんの幅利きになりました。それでだんだんにほかの議政官たちを押しのけて、町中のことは自分一人で勝手に切り廻すようになりました。 ディオニシアス・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・すぐに、田舎の長兄へ電報を打ちました。長兄が来るまでは、私が兄の傍に寝て二晩、のどにからまる痰を指で除去してあげました。長兄が来て、すぐに看護婦を雇い、お友だちもだんだん集り、私も心強くなりましたが、長兄が見えるまでの二晩は、いま思っても地・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・腹を立てて、色々な物を従卒に打ち附けてこわした。ドリスを棄てようか。それは「絶待」に不可能である。少し用心深く言ったところで、「当分」不可能である。罷職になって、スラヴ領へ行って、厚皮の長靴を穿く。飛んでもない事だ。世界を一周する。知識欲が・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 死ぬのは悲しいという念よりもこの苦痛に打ち克とうという念の方が強烈であった。一方にはきわめて消極的な涙もろい意気地ない絶望が漲るとともに、一方には人間の生存に対する権利というような積極的な力が強く横たわった。 疼痛は波のように押し・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・暗緑色に濁った濤は砂浜を洗うて打ち上がった藻草をもみ砕こうとする。夥しく上がった海月が五色の真砂の上に光っているのは美しい。 寛げた寝衣の胸に吹き入るしぶきに身顫いをしてふと台場の方を見ると、波打際にしゃがんでいる人影が潮霧の中にぼんや・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・これで行く度に阿母さんが出て来て、色々打ち釈けた話をしちゃ、御馳走をして帰す。酒のお酌や飯の給仕に出るのがその綾子さんで、どうも様子が可怪しいと思ってるてえと、やがてのこと阿母さんの口から縁談の話が出た。けど秋山少尉は考えておきますと、然い・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ 餓鬼時分からの恩をも忘れちまいやがって、俺の頭を打ち割るなんて……覚えてろ! ぶち込まれてから吠面掻くな……。 仰向けに、天井板を見つめながら、ヒクヒクと、うずく痛みを、ジッと堪えた。 会社がロックアウトをして以来、モウかれこれ四・・・ 徳永直 「眼」
・・・明治四十一年の秋、わたくしが外国から帰って来た時、歯入屋は既に鞭で鼓を打ちながら牛込辺を歩いていたようである。 その頃ロシヤのパンパンと呼んで山の手の町を売り歩く行賈の声がわたくしには耳新しく聞きなされた。然しこれとても、東京の市街は広・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・苦しきに堪えかねて、われとわが頭を抑えたるギニヴィアを打ち守る人の心は、飛ぶ鳥の影の疾きが如くに女の胸にひらめき渡る。苦しみは払い落す蜘蛛の巣と消えて剰すは嬉しき人の情ばかりである。「かくてあらば」と女は危うき間に際どく擦り込む石火の楽みを・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・宴が終って、誰もかれも打ち寛いだ頃、彼は前の謝辞があまりに簡単で済まなかったとでも思ったか、また立って彼の生涯の回顧らしいことを話し始めた。 私は今日を以て私の何十年の公生涯を終ったのである。私は近頃ラムの『エッセー・オブ・エリヤ』を取・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
出典:青空文庫