・・・ 君の聞き上手に乗せられて、うっかり大事をもらしてしまった。これは、いけない。多少、不愉快である。 君に聞くが、サンボルでなければものを語れない人間の、愛情の細かさを、君、わかるかね。 どうも、たいへん、不愉快である。多少でも、・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・誘惑にはうっかり乗れない。 第一日には頂上までの五分の一だけ登って引返し、第二日目は休息、第三日は五分の二までで引返し、第四日休息、アンド・ソー・オン。そうして第八日第九日目を十分に休養した後に最後の第十日目に一気に頂上まで登る、という・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・太十が庭へおりると唯悦んで飛びついた。うっかり抱いて太十はよく其舌で甞められた。赤は太十をなくして畢ってぽさぽさと独りで帰ることがある。春といっても横にひろがった薺が、枝を束ねた桑畑の畝間にすっと延び出して僅かに白い花が見え出してまだ麦が首・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ だものだから、ついうっかり、奴さんの云う事を飲み込もうとした。 涎でも垂らすように、私の眼は涙を催しかけた。「馬鹿野郎!」 私は、力一杯怒鳴った。セコンドメイトの猫入らずを防ぐと同時に、私の欺され易いセンチメンタリズムを怒・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・しかし近頃は慾の深い奴が多いから、幽霊が居るなら一つふんじばって浅草公園第六区に出してやろうなんていうので幽霊捕縛に歩行いて居るかもしれないから、うっかり出られないが、失敬ナ、悠々と詩を吟じながら往ってしまやがった。この頃此処へ来る奴にろく・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ 九月九日「北極は面白いけれどもそんなに永くとまっている処じゃない。うっかりはせまわってふらふらしているとこなどを、ヘルマン大佐になど見られようもんならさっそく、おいその赤毛、入れ、なんて来るからねえ、いくら面白いたって・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・昔流にいえば、まだ一家の主婦でない若い女のひとはそんなことには娘時代の呑気さでうっかり過したかもしれないが、今日は、主婦でない女のひとも、やはりこのことには社会の現象として注意をひかれているのが実際であろう。古い女らしさに従えば、うまくやり・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・それを私はうっかり誤った。苦心しなかった結果である。私は杉君に返事を遣って、礼を言った。それから後に逢った時、第二部をも細閲して貰うように頼んで置いた。十一 第三に指摘してくれられた人は向軍治君である。これは新人と云う雑誌に・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・「潜水艦にもかけてみましたが、これは、うっかりして、後尾へ当っちゃったものだから、浮きあがる筈のやつが、いつまでも浮かないんですよ。気の毒なことをした。でも、まア、仕様がない、国のためだから、我慢をしてもらわなきゃア。」 ちょっと栖・・・ 横光利一 「微笑」
・・・で、そのことを谷川君にいうと、「うっかりそんな話をすれば、引っ張り出しが成功しなかったかもしれませんからね」という答えであった。落合君はもうその前から東山のマラリヤの蚊にやられていたのである。この谷川君の英断にも私は心から感謝した。あのすば・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫