・・・ 彼女はしばらくはうっとりと、燦びやかな燈火を眺めていた。が、やがてその光に、彼女自身の姿を見ると、悲しそうに二三度頭を振った。「私は昔のけいれんじゃない。今はお蓮と云う日本人だもの。金さんも会いに来ない筈だ。けれども金さんさえ来て・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・そう云う時には落着いた王生が、花磁盞を前にうっとりと、どこかの歌の声に聞き入っていると、陽気な趙生は酢蟹を肴に、金華酒の満を引きながら、盛んに妓品なぞを論じ立てるのである。 その王生がどう云う訳か、去年の秋以来忘れたように、ばったり痛飲・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・――彼は内心そう思いながら、うっとり空へ眼をあげた。そうして今夜は人後に落ちず、将軍の握手に報いるため、肉弾になろうと決心した。…… その夜の八時何分か過ぎ、手擲弾に中った江木上等兵は、全身黒焦になったまま、松樹山の山腹に倒れていた。そ・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 菊枝は屏風の中から、ぬれ浴衣を見てうっとりしている。 七兵衛はさりとも知らず、「どうじゃ〆めるものはこの扱帯が可いかの。」 じっと凝視めたまま、 だんまりなり。「ぐるぐる巻にすると可い、どうだ。」「はい取って下・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 投棄てるようにいうとともに、お誓はよろよろと倒れて、うっとりと目を閉じた。 早く解いて流した紅の腹帯は、二重三重にわがなって、大輪の花のようなのを、もろ翼を添えて、白鷺が、すれすれに水を切って、鳥旦那の来り迫る波がしらと直線に、水・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・はいって見れば臭味もそれほどでなく、ちょうど頃合の温かさで、しばらくつかっているとうっとりして頭が空になる。おとよさんの事もちょっと忘れる。雨が少し強くなってきたのか、椎の葉に雨の音が聞こえてしずくの落つるが闇に響いて寂しい。座敷の方の話し・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ いつも快活で、そして、また独りぼっちに自分を感じた年子は、しばらく、柔らかな腰掛けにからだを投げて、うっとりと、波立ちかがやきつつある光景に見とれて、夢心地でいました。「このはなやかさが、いつまでつづくであろう。もう、あと二時間、・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・おじいさんは、自分の鳴らす、バイオリンの音に、自分からうっとりとして、時のたつのを忘れることもありました。 夏の日の晩方には、村の子供らがおおぜい、この城跡に集まってきて石を投げたり鬼ごっこをしたり、また繩をまわしたりして遊んでいました・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・の氷金時を食べさせてもらって、高津の坂を登って行く途々、ついぞこれまで味えなかった女親というものの味の甘さにうっとりして、何度も何度も美しい浜子の横顔を見上げていました。 ところが、そんな優しい母親が、近所の大人たちに言わせると継母なの・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・豹一はうっとりともしなかった。間もなく退学届を出した。そして大阪の家へ帰った。三 学校をやめたと聞いて、「やめんでもええのに。しやけど、お前がやめよう思うんやったら、そないしたらええ」 と、お君は依然としてお君であっ・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫