・・・障子に、奥田の、立って動いて、何やら食事の仕度をしている影法師が写る。ぼんやり、その奥田の影法師のうしろに、女の影法師が浮ぶ。その女の影法師は、じっと立ったまま動かぬ。外は夕闇。国民学校教師、野中弥一、酔歩蹣跚の姿で、下手より、庭へ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ 単衣から袷に移る期間はむずかしい。九月の末から十月のはじめにかけて、十日間ばかり、私は人知れぬ憂愁に閉ざされるのである。私には、袷は、二揃いあるのだ。一つは久留米絣で、もう一つは何だか絹のものである。これは、いずれも以前に母から送って・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・寒山拾得の類の、私の姿が、商店の飾窓の硝子に写る。私の着物は、真赤に見えた。米寿の祝いに赤い胴着を着せられた老翁の姿を思い出した。今の此のむずかしい世の中に、何一つ積極的なお手伝いも出来ず、文名さえも一向に挙らず、十年一日の如く、ちびた下駄・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・具体的から抽象的に移る道を明けてやらないで、いきなり純粋な抽象的観念の理解を強いるのは無理である。それよりもこうすればうまく行ける。先ず一番の基礎的な事柄は教場でやらないで戸外で授ける方がいい。例えばある牧場の面積を測る事、他所のと比較する・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・岬の上には警報台の赤燈が鈍く灯って波に映る。何処かでホーイと人を呼ぶ声が風のしきりに闇に響く。 嵐だと考えながら二階を下りて室に帰った。机の前に寝転んで、戸袋をはたく芭蕉の葉ずれを聞きながら、将に来らんとする浦の嵐の壮大を想うた。海は地・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・そうして丹波の山奥から出て来た観覧者の目に映るような美しい影像はもう再び認める時はなくなってしまう。これは実にその人にとっては取り返しのつかない損失でなければならない。 このような人は単に自分の担任の建築や美術品のみならず、他の同種のも・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・には、かなり緻密な解析的な頭脳と複雑な構成的才能とを要することは明白であろう。道楽のあげくに手を着けるような仕事では決してないのである。「分析」から「総合」に移る前に行なわるる過程は「選択」の過程である。 すべての芸術は結局選択の芸・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・例えばファゴットの管の上端の楕円形が大きく写ると同時にこの木管楽器のメロディーが忽然として他の音の波の上に抜け出て響いて来るのである。こういうことは作曲者かあるいは指揮者を同伴して演奏会へ行っても容易に得られない無言の解説である。カルメンの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・まず第一ページにおいてわれわれの目に大きく写るものが何であるかと思うと、それは新刊書籍、雑誌の広告である。世界じゅうの大きな出来事、日本国内の重要な現象、そういうもののニュースを見るよりも前にまずこの商品の広告が自然にわれわれの眼前に現われ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・現世の故郷はうつり変っても画の中に写る二十年の昔はさながらに美しい。外の記憶がうすれて来る程、森の絵の記憶は鮮やかになって来る。 他郷に漂浪してもこの絵だけは捨てずに持って来た。額縁も古ぼけ、紙も大分煤けたようだが、「森の絵」はいつでも・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
出典:青空文庫