・・・――つい二三日前の深更、鉄盗人が二三人学校の裏手へ舟を着けた。それを発見した夜警中の守衛は単身彼等を逮捕しようとした。ところが烈しい格闘の末、あべこべに海へ抛りこまれた。守衛は濡れ鼠になりながら、やっと岸へ這い上った。が、勿論盗人の舟はその・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・七兵衛は勝手の戸をがらりと開けた、台所は昼になって、ただ見れば、裏手は一面の蘆原、処々に水溜、これには昼の月も映りそうに秋の空は澄切って、赤蜻蛉が一ツ行き二ツ行き、遠方に小さく、釣をする人のうしろに、ちらちらと帆が見えて海から吹通しの風颯と・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・そこは貴方、府中の鎮守様の裏手でございまして、手が届きそうな小さな丘なんでございますよ。もっとも何千年の昔から人足の絶えた処には違いございません、何蕨でも生えてりゃ小児が取りに入りましょうけれども、御覧じゃりまし、お茶の水の向うの崖だって仙・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 茶店の裏手は遠近の山また山の山続きで、その日の静かなる海面よりも、一層かえって高波を蜿らしているようでありました。 小宮山は、快く草臥を休めましたが、何か思う処あるらしく、この茶屋の亭主を呼んで、「御亭主、少し聞きたい事がある・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 僕は、数丈のうわばみがぺろぺろ赤い舌を出し、この家のうちを狙って巻きつくかのような思いをもって、裏手へまわった。 裏手は田圃である。ずッと遠くまで並び立った稲の穂は、風に靡いてきらきら光っている。僕は涼風のごとく軽くなり、月光のご・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・山が裏手に幾重にも迫って、溪の底にも溪がある。点々としている自然、永劫の寂寥をしみ/″\味わうというなら此処に来るもいゝが、陰気と、単調に人をして愁殺するものがある。風雨のために壊された大湯、其処に此の山の百姓らしい女が浴している。少し行く・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・ 私は乳母に手を引かれて、あっちこっちと見て歩く内に、ふと社の裏手の明き地に大勢人が集まっているのを見つけました。 側へ寄って見ると、そこには小屋掛もしなければ、日除もしてないで、唯野天の平地に親子らしいお爺さんと男の子が立っていて・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・歌舞伎座の裏手の自由軒の横に雁次郎横町という路地があります。なぜ雁次郎横町というのか判らないが、突当りに地蔵さんが祀ってあり、金ぷら屋や寿司屋など食物屋がごちゃごちゃとある中に、格子のはまった小さなしもた家――それが父の家でした。父はもう七・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・すると次郎は私と三郎の間に腰掛けて、「そう、そう、あの青山の墓地の裏手のところが、まだすこし残ってる。この次ぎにはあそこを歩いて見るんだナ。」「なにしろ、日あたりがよくて、部屋の都合がよくて、庭もあって、それで安い家と来るんだから、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 細い流について行ったところに、本町の裏手に続いた一区域がある。落葉松の垣で囲われた草葺屋根の家が先生の高瀬を連れて行って見せたところだ。近くまで汁粉屋が借りていたとかで、古い穴のあいた襖、煤けた壁、汚れた障子などが眼につく。炬燵を切っ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫