・・・北村君は又芝公園へ移ったが、其処は紅葉館の裏手に方る処で、土地が高く樹木が欝蒼とした具合が、北村君の性質によく協ったという事は、書いたものの中にも出ている。あの芝公園の家は余程気に入ったものと見えて、彼処で書いたものの中には、懐しみの多いも・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ つぎには、これは築地の、市の施療院でのことですが、その病院では、当番の鈴木、上与那原両海軍軍医少佐以下の沈着なしょちで、火が来るまえに、看護婦たちにたん架をかつがせなどして、すべての患者を裏手のうめ立て地なぞへうつしておいたのですが、・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・土蔵の裏手、翼の骨骼のようにばさと葉をひろげているきたならしい樹木が五六ぽん見える。あれは棕梠である。あの樹木に覆われているひくいトタン屋根は、左官屋のものだ。左官屋はいま牢のなかにいる。細君をぶち殺したのである。左官屋の毎朝の誇りを、細君・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ つぎの一年は家の裏手にあたる国分寺跡の松林の中で修行をした。人の形をした五尺四五寸の高さの枯れた根株を殴るのであった。次郎兵衛はおのれのからだをすみからすみまで殴ってみて、眉間と水落ちが一番いたいという事実を知らされた。尚、むかしから・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・名をジュセッポ・ルッサナとかいって、黒田の宿の裏手に小さな家を借りて何処かの語学校とかへ通っていた。細君は日本人で子供が二人、末のはまだほんの赤ん坊であった。下女も置かずに、質素と云うよりはむしろ極めて賤しい暮しをしていた。日本へ来ている外・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・そのかわりに今雛鳥を二羽、宿の裏手の鶏小屋の片すみの檻に養っている。それを時おり池へ連れて来ては遊泳の練習をさせている。もう少し大きくなったら放養するのだという。みずすましとちがってあひるの成長はなかなか骨が折れるのである。 うちの子供・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・新屋敷の裏手へ廻る。自分と精とは一町ばかり後をついて行く。北の山へ雲の峰が出て新築の学校の屋根がきらきらしているが風は涼しい。要太郎が手を上げたから余等は立止って道にしゃがんだ。久万川の土手に沿うた一丸の二番稲があってその中に鴫が居ると見え・・・ 寺田寅彦 「鴫つき」
・・・ 飯を食いながら女中の話を聞くと、せんだってなんとかいう博士がこの公園を見に来て、これはたいへんにいい所だからこの形勝を保存しなければいけないという事になり、さらに裏手の丘までも公園の地域を拡張する事になった。「そうなると私どもはここを・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・出口へ出るとそこでは下足番の婆さんがただ一人落ち散らばった履物の整理をしているのを見付けて、預けた蝙蝠傘を出してもらって館の裏手の集団の中からT画伯を捜しあてた。同君の二人の子供も一緒に居た。その時気のついたのは附近の大木の枯枝の大きなのが・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ その頃、見返柳の立っていた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を越して、田圃のかなたに小塚ッ原の女郎屋の裏手が見え、堤の直ぐ下には屠牛場や元結の製造場などがあって、山谷堀へつづく一条の溝渠が横わっていた。・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫