・・・ が耕吉が改札して出るようになっても、その巡査が来ないのか、小僧はしきりに表の方や出札口前をうろうろしていた。耕吉は橋を渡り、汽車に乗って、窓から顔を出していたが、やがてプラットホームの混雑も薄れてきても、小僧も巡査の姿も見えないので、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・そして落日を見ようとする切なさに駆られながら、見透しのつかない街を慌てふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかった。私は日の当った風景の象徴する幸福な感情を否定するのではない。その幸福は今や私を傷つける。私はそれを憎む・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・保護者にはぐれた子どもたちが、おんおんないてうろうろしている。恐怖と悲嘆とに気が狂った女が、きいきい声をあげてかけ歩く。びっくりしたのと、無理に歩いて来たのとで、きゅうに産気づいて苦しんでいる妊婦もあり、だれよだれよと半狂乱で家族の人をさが・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・門を出しなに振り返ると、藤さんはまだうろうろと立っている。「お早くお帰りなさいましな」「ええ」と自分は後の事は何んにも知らずに、ステッキを振り廻しながらとことこと出て行ったけれど、二人はついにこれが永き別れとなったのである。 も・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・もうひとつの犬は、かなしそうに、くんくんなきなきうろうろしていました。 その翌る日、肉屋は、のこった犬をその空地へかえさないようにして、すべてをわすれさせてやろうと思って、じぶんの家のうら手へきれいなわらをしいたはこをすえてやりました。・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・其の日は私も、朝から何となく落ちつかず、さればといって、あの若者達と一緒に山車を引張り廻して遊ぶことも出来ず、仕事をちょっと仕掛けては、また立ち上り、二階の部屋をただうろうろ歩き廻って居ました。窓に倚りかかり、庭を見下せば、無花果の樹蔭で、・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
芸術家というものは、つくづく困った種族である。鳥籠一つを、必死にかかえて、うろうろしている。その鳥籠を取りあげられたら、彼は舌を噛んで死ぬだろう。なるべくなら、取りあげないで、ほしいのである。 誰だって、それは、考えて・・・ 太宰治 「一燈」
・・・老妻が歯痛をわずらい、見かねて嘉七が、アスピリンを与えたところ、ききすぎて、てもなくとろとろ眠りこんでしまって、ふだんから老妻を可愛がっている主人は、心配そうにうろうろして、かず枝は大笑いであった。いちど、嘉七がひとり、頭をたれて宿ちかくの・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 危険線のすぐ近くまで来てうろうろしているものが存外その境界線を越えずに済む、ということは病気ばかりとは限らないようである。ありとあらゆる罪悪の淵の崖の傍をうろうろして落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことが・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・N君が帽子と外套を取って来てくれる間を出口でうろうろして、寒い空気に逆上した頭を冷やしていた。 このようにして、私の議会訪問は意外の失敗に終ってしまった。これはしかし、決して私を案内したN君の悪い訳でもなく、いわんや議会そのものの罪でも・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
出典:青空文庫