・・・ 絵絹に、その面影が朦朧と映ると見る間に、押した扉が、ツトおのずから、はずみにお妻の形を吸った。「ああ、吃驚、でもよかった。」 と、室の中から、「そら、御覧なさい、さあ、あなたも。」 どうも、あけ方が約束に背いたので、は・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・それだのにそうかと云って、洋画家で絵絹へ油絵具を塗る試みをあえてする人、日本画家でカンバスへ日本絵具を盛り上げる実験をする人がないのはむしろ不思議なくらいである。 洋画を通じてルソーやマチスや、ドランやマルケーなどのようなフランス絵の影・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ わくに張った絵絹の上に山水や花鳥を描いているのを、子供の私はよくそばで見ていた。長い間見ていても、ほとんど口をきくという事はなかった。しかし、さも楽しそうに筆を動かしては楊枝をかんでながめているのを、そばで黙って見ているのがなんとなく・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・の心にピッタリとあう、なつかしさとにおいがただよって居る、髪を一寸ながくして内気なかおにかるい笑と力づよさをうかべて一生懸命に話す若い絵書きの前に、私は髪を一束につかねて、じみな色のネルを着てその人の絵絹の上に細筆を走らせる時の様に、かすか・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫