・・・ 第十一回目のラウンドで、審判者はTKOの判定を下してベーアの勝利となったが、素人がこの映画を見ただけでは、どちらもまだ何度でも戦えそうに見え、最後に気絶して起きられなくなるようなところはこの映画では見られなかった。 とにかく体力と・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・店の女たちも起きだして、掃除をしていた。「独りで食べてうまいかね」「わたい三度の御飯は、どんなことがあっても欠かさずきちんきちん食べる方なの。御飯も三膳ずつに極めているの」 おひろは痩せた小さい体の割りには、声がりんりんして深み・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・一たん浮いてしまったら、土地の勢力と妥協でもしないかぎり、もうからだの置き場所がなくなるのであった。 ガリ、ガリ、ガリッ……。とたんに三吉はせんをほうりだして、家の中にとびこむ。家の前の道を、パッと陽の光りをはじけかしてクリーム色のパラ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 息子は金がないのを詫びて、夫婦して、大事に善ニョムさんを寝かしたのだった……が、まだ六十七の善ニョムさんの身体は、寝ていることは起きて働いていることよりも、よけい苦痛だった。 寝ていると、眼は益々冴えてくるし、手や足の関節が、ボキ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・僧が夜半に起きて鐘をつく習慣さえ、いつまで昔のままにつづくものであろう。 たまたま鐘の声を耳にする時、わたくしは何の理由もなく、むかしの人々と同じような心持で、鐘の声を聴く最後の一人ではないかというような心細い気がしてならない……。・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・eaux という人の或る旅行記の序文に、手荷物を停車場に預けて置いたまま、汽車の汽笛の聞える附近の宿屋に寝泊りして、毎日の食事さえも停車場内の料理屋で準え、何時にても直様出発し得られるような境遇に身を置きながら、一向に巴里を離れず、かえって・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・霜の白い朝彼は起きて屹度犬の箱を覗く。犬は小さいながら成長した。春らしい日の光が稀にはほっかり射すようになって麦がみずみずしい青さを催して来た頃犬は見違える程大きくなった。毛が赤いので赤と呼んだ。太十が出る時は赤は屹度附いて出る。附いて行く・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・魂消える物の怪の話におののきて、眠らぬ耳に鶏の声をうれしと起き出でた事もある。去れど恐ろしきも苦しきも、皆われ安かれと願う心の反響に過ぎず。われという可愛き者の前に夢の魔を置き、物の怪の祟りを据えての恐と苦しみである。今宵の悩みはそれらには・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・われという可愛き者の前に夢の魔を置き、物の怪の祟りを据えての恐と苦しみである。今宵の悩みはそれらにはあらず。我という個霊の消え失せて、求むれども遂に得がたきを、驚きて迷いて、果ては情なくてかくは乱るるなり。我を司どるものの我にはあらで、先に・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 倒れていた男はのろのろと起き上った。「青二才奴! よくもやりやがったな。サア今度は覚悟を決めて来い」「オイ、兄弟俺はお前と喧嘩する気はないよ。俺は思い違いをしていたんだ。悪かったよ」「何だ! 思い違いだと。糞面白くもねえ。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫