一 小野の小町、几帳の陰に草紙を読んでいる。そこへ突然黄泉の使が現れる。黄泉の使は色の黒い若者。しかも耳は兎の耳である。 小町 誰です、あなたは? 使 黄泉の使です。 小町 黄泉の使! で・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・向こうのすみでは、原君や小野君が机の上に塩せんべいの袋をひろげてせっせと数を勘定している。 依田君もそのかたわらで、大きな餡パンの袋をあけてせっせと「ええ五つ、十う、二十」をやっているのが見える。なにしろ、塩せんべいと餡パンとを合わせる・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・一旦破寺――西明寺はその一頃は無住であった――その庫裡に引取って、炉に焚火をして、弁当を使ったあとで、出直して、降積った雪の森に襲い入ると、段々に奥深く、やがて向うに青い水が顕われた、土地で、大沼というのである。 今はよく晴れて、沼を囲・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・何でも、この山奥に大沼というのがある?……ありますか、お爺さん。」「あるだ。」 その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体つけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・沼南が大隈参議と進退を侶にし、今の次官よりも重く見られた文部権大書記官の栄位を弊履の如く一蹴して野に下り、矢野文雄や小野梓と並んで改進党の三領袖として声望隆々とした頃の先夫人は才貌双絶の艶名を鳴らしたもんだった。 その頃私は番町の島田邸・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 図画の時間に、小野がふり向いて、いいました。「こんなりんごは、めったに見ないね。どこで買ってきたんだい。」と、隣の山田が、ききました。「田舎のおばあさんから、送ってきたんだ。」と、政ちゃんが、答えました。「たくさん送ってき・・・ 小川未明 「政ちゃんと赤いりんご」
・・・『まさか』と自分は打消て見たが『しかし都は各種の人が流れ流れて集まって来る底のない大沼である。彼人だってどんな具合でここへ漂って来まいものでもない、』など思いつづけて坂の上まで来て下町の方を見下ろすと、夜は暗く霧は重く、ちょうどはてのな・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・「へん、気に食わない奴だ。大沼なんぞは馬鹿だけれども剛直な奴で、重りがあった。」 こう言いながら、火鉢を少し持ち上げて、畳を火鉢の尻で二、三度とんとんと衝いた。大沼の重りの象徴にする積りと見える。「今度の奴は生利に小細工をしやが・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・その方と秋山さんの親御が、区役所の兵事課へ突然車をおつけになって、小野某と云う者が、田舎の何番地にいる筈だが、そこへ案内しろと仰ったそうです。兵事課じゃ、何か悪いことでもあったかと吃驚したそうでござえんすがね、何々然云う訳じゃねえ、其小野某・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・しかしまだ印刷工組合に小野鉄次郎がいたころは、彼にしろ長野にしろ、こんなに露骨にはいわない筈であった。「高坂が準備してるいうやないか?」 こんどは長野が三吉をのぞきこんだ。高坂はやはり印刷工組合の幹部で、自分で印刷工場も経営している・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫