・・・ 二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。 椴松帯が向うに見えた。凡ての樹が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱な暗緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天を衝いて、怒濤のような風の音を籠めていた・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・中には重荷を積んだ車のやや劇しい響をさせるのもある。犬の身の辺には新らしいチャンの匂いがする。 この別荘に来た人たちは皆好い人であった。その好い人が町を離れて此処で清い空気を吸って、緑色な草木を見て、平日よりも好い人になって居るのだ。初・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・あれだけでも僕みたいな者にゃ一種の重荷だよ。それよりは何処でも構わず腹の空いた時に飛び込んで、自分の好きな物を食った方が可じゃないか。何でも好きなものが食えるんだからなあ。初めの間は腹のへって来るのが楽みで、一日に五回ずつ食ってやった。出掛・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・十七の年からもう二十年背負っているが、これで案外重荷でねと、冗談口の達者な男だった。十七の歳から……? と驚くと、僕も中学校へ三年まで行った男だが……と語りだしたのは、こうだった。 生まれつき肌が白いし、自分から言うのはおかしいが、まア・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・と万斤の重荷を卸ろしたよろこび。自分は懐に片手を入れて一件を握っていたが未だ夢の醒めきらぬ心地がして茫然としている。「御飯は?」「食って来た」「母上さんの処で?」「あア」「大変お顔の色が悪う御座いますよ」と妻は自分の顔を・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・田甫道に出るや、彼はこの数日の重荷が急に軽くなったかのように、いそいそと路を歩いたが、我家に着くまで殆ど路をどう来たのか解らなんだ。 三 その翌々日の事であった、東京なる高山法学士から一通の書状が村長の許に届い・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 帰りには、彼は、何か重荷を下したようで胸がすっとした。 息子は、びっくりして十一時の夜汽車であわてゝ帰って来た。 三日たって、県立中学に合格したという通知が来たが、入学させなかった。 息子は、今、醤油屋の小僧にやら・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ おせんがある医者のところへ嫁いたという噂は、何か重荷でも卸したように、大塚さんの心を離れさせた。曽て彼の妻であった人も、今は最早全く他人のものだ。それを彼は実際に見て来たのだ。 万事大塚さんには惜しく成って来た。女というものの考え・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・みな頭と肩との上に重荷を載せられているような圧を感じている。それだからその圧を加えられて、ぽうっとしてよろめきながら歩いているのである。そんな風であるから、どうして外の人の事に気を留める隙があろう。自分と一しょに歩いているものが誰だというこ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。 おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしい・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
出典:青空文庫