・・・山脈のまんなかごろのこんもりした小山の中腹にそれがある。約一畝歩ぐらいの赤土の崖がそれなのであった。 小山は馬禿山と呼ばれている。ふもとの村から崖を眺めるとはしっている馬の姿に似ているからと言うのであるが、事実は老いぼれた人の横顔に似て・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・と言って巨躯をゆさぶって立ち上り、その小山の如きうしろ姿を横目で見て、ほとんど畏敬に近い念さえ起り、思わず小さい溜息をもらしたものだが、つまりその頃、日本に於いてチャンポンを敢行する人物は、まず英雄豪傑にのみ限られていた、といっても過言では・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・水禽の大鉄傘を過ぎて、おっとせいの水槽のまえを通り、小山のように巨大なひぐまの、檻のまえにさしかかったころ、佐竹は語りはじめた。まえにも何回となく言って言い馴れているような諳誦口調であって、文章にすればいくらか熱のある言葉のようにもみえるが・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・腕力の強いガキ大将、お山の大将、乃木大将。 貴族がどうのこうのと言っていたが、或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキ・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・「女形、四十にして娘を知る。」けさの新聞に、新派の女形のそんな述懐が出ていたっけ、四十、か。もすこしのがまんだ。――などと、だんだん小説の筋書から、離れていって、おしまいには、自身の借金の勘定なんか、はじまって、とても俗になった。眠るどころ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・自分の「お山」以外のものは皆つまらなく見えるからである。 一方で案内者のほうから言うと、その率いている被案内者からあまりに信頼されすぎて困る場合もずいぶんありうる。どこまでも忠実に付従して来るはいいとしても、まさかに手洗い所までものその・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・源蔵の妻よりもどこか品格がよくて、そうして実にまた、いかなる役者の女形がほんとうの女よりも女らしいよりもさらにいっそうより多く女らしく見える。女の人形の運動は男のよりもより多く細かな曲線を描くのはもとより当然であるが、それが人形であるために・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・ 今度小山書店から出版された「妖魔詩話」の紹介を頼まれて、さて何か書こうとするときに、第一に思い出すのはこの前述の不思議な印象である。従って眼前の「妖魔詩話」が私に呼びかける呼び声もまたやはりこの漠然とした不思議な印象の霧の中から響いて・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・そのときに足踏みならしてたぬきの歌う歌の文句が、「こいさ(今宵お月夜で、お山踏み(たぶん山見分も来まいぞ」というので、そのあとに、なんとかなんとかで「ドンドコショ」というはやしがつくのである。それを伯母が節おもしろく「コーイーサー、、オーツ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
一年に二度ずつ自分の関係している某研究所の研究成績発表講演会といったようなものが開かれる。これが近年の自分の単調な生活の途上に横たわるちょっとした小山の峠のようなものになっている。学生時代には学期試験とか学年試験とかいうも・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
出典:青空文庫