・・・ それから矢部は彼の方に何か言いかけようとしたが、彼に対してさえ不快を感じたらしく、監督の方に向いて、「六年間只奉公してあげくの果てに痛くもない腹を探られたのは全くお初つだよ。私も今夜という今夜は、慾もへちまもなく腹を立てちゃった。・・・ 有島武郎 「親子」
・・・話をしていましたが、やがて私の枕元に参りまして、『頭領が見えました、何かあなたにお話ししたいことがあるそうです』 なんの頭領だろうと思っていますうちに、その男はずかずか私の枕元に参りまして、『お初にお目にかかります、私ことは大工助次・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・もともと金之助さんを袖子の家へ、初めて抱いて来て見せたのは下女のお初で、お初の子煩悩ときたら、袖子に劣らなかった。「ちゃあちゃん。」 それが茶の間へ袖子を探しに行く時の子供の声だ。「ちゃあちゃん。」 それがまた台所で働いてい・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・「旦那は先い往んなんせ。お初やんが尋ねに出ましょうに」と母親がいう。自分は初めて貝殻の事を思いだして、そこそこに水天宮のところまで帰ってくる。 夕日がはるか向いの島蔭に沈みかかっている。貝殻はもう止そうかしらと思ったが、何だか気がす・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
「ね、あんた、今のうち、尾久の家へでも、行っちゃったがいいと思うんだけど……」 女房のお初が、利平の枕許でしきりと、口説きたてる。利平が、争議団に頭を割られてから、お初はモウスッカリ、怖気づいてしまっている。「何を…・・・ 徳永直 「眼」
出典:青空文庫