・・・女房コンスタンチェが決闘の前夜、冷たいピストルを抱いて寝て、さてその翌朝、いよいよ前代未聞の女の決闘が開始されるのでありますが、それについて原作者 EULENBERG が、れいの心憎いまでの怜悧無情の心で次のように述べてあります。これを少し・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ 中学一年の男の子は、正坐して、そうしてきちんと両手を膝に置き、実に行儀よく放送の開始を待っている。この子は、容貌も端麗で、しかも学校がよく出来る。そうして、お父さんを心から尊敬している。 放送開始。 父は平然と煙草を吸いはじめ・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・君は、芥子つぶほどの蟹を見たことがあるか。芥子つぶほどの蟹と、芥子つぶほどの蟹とが、いのちかけて争っていた。私、あのとき、凝然とした。わがダンディスム「ブルウタス、汝もまた。」 人間、この苦汁を嘗めぬものが、かつて、ひと・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・けた一瞬まえの笹の葉の霜、一万年生きた亀の甲、月光の中で一粒ずつ拾い集めた砂金、竜の鱗、生れて一度も日光に当った事のないどぶ鼠の眼玉、ほととぎすの吐出した水銀、蛍の尻の真珠、鸚鵡の青い舌、永遠に散らぬ芥子の花、梟の耳朶、てんとう虫の爪、きり・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・そこで映画を見て目と耳との感覚に注意を集注し、その映像と音響との複合から刺激された情緒的活動が開始されると、今度は脳神経中枢のどこか前とはちがった部分のちがった活動がスタートを切って、今までとはまた少しちがった場所にちがった化学作用が起こり・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・従って、この特徴と重写の技巧とを併用すれば、一粒の芥子種の中に須弥山を収めることなどは造作もないことである。巨人の掌上でもだえる佳姫や、徳利から出て来る仙人の映画などはかくして得られるのである。このようにカメラの距離の調節によって尺度の調節・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
新学年開始のこの機会に上記の題で何か書けという編輯員からの御注文である。別に腹案もないからと一応御断りしたが、何でもいいから書けといわれる。自分の学生時代の想い出のようなものでもいいからといわれるので、たださしあたり思いつ・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・さもおかしそうに笑っている人を見れば自分も笑いたくなると同様に、上手な俳優が身も世もあられぬといったような悲しみの涙をしぼって見せれば、元来泣くように準備のととのっている観客の涙腺は猶予なく過剰分泌を開始するのであって、言わば相撲を見ている・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・雨が降って地面が柔らかくなり、ナポレオンが力と頼む砲兵の活動に不便なために戦闘開始を少し延ばしたばかりにブリュヘルが間に合って戦局が一変したと云うのである。これは文学者の誇張であるかもしれないが、こういう例は史上に珍しくはあるまい。同じ筆法・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・そうして懐紙のページによって序破急の構成がおのずから定まり、一巻が渾然とした一楽曲を形成するのである。 発句は百韻五十韻歌仙の圧縮されたものであり、発句の展開されたものが三つ物となり表合となり歌仙百韻となるのである。発句の主題は言葉の意・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫