・・・且また私の知っている限り、所謂超自然的現象には寸毫の信用も置いていない、教養に富んだ新思想家である、その田代君がこんな事を云い出す以上、まさかその妙な伝説と云うのも、荒唐無稽な怪談ではあるまい。――「ほんとうですか。」 私が再こう念・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
大学生の中村は薄い春のオヴァ・コオトの下に彼自身の体温を感じながら、仄暗い石の階段を博物館の二階へ登っていった。階段を登りつめた左にあるのは爬虫類の標本室である。中村はそこへはいる前に、ちょっと金の腕時計を眺めた。腕時計の・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・たね子は紋服を着た夫を前に狭い階段を登りながら、大谷石や煉瓦を用いた内部に何か無気味に近いものを感じた。のみならず壁を伝わって走る、大きい一匹の鼠さえ感じた。感じた?――それは実際「感じた」だった。彼女は夫の袂を引き、「あら、あなた、鼠が」・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・の話した、こういう怪談を覚えている。――ある日の午後、「てつ」は長火鉢に頬杖をつき、半睡半醒の境にさまよっていた。すると小さい火の玉が一つ、「てつ」の顔のまわりを飛びめぐり始めた。「てつ」ははっとして目を醒ました。火の玉はもちろんその時には・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ではマルセイユで見かけたのは、その赤帽かと思いもしたが、余り怪談じみているし、一つには名誉の遠征中も、細君の事ばかり思っているかと、嘲られそうな気がしたから、今日まではやはり黙っていた。が、今顔を出した赤帽を見たら、マルセイユのカッフェには・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・――青苔に沁む風は、坂に草を吹靡くより、おのずから静ではあるが、階段に、緑に、堂のあたりに散った常盤木の落葉の乱れたのが、いま、そよとも動かない。 のみならず。――すぐこの階のもとへ、灯ともしの翁一人、立出づるが、その油差の上に差置・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・何しろ……胸さきの苦しさに、ほとんど前後を忘じたが、あとで注意すると、環海ビルジング――帯暗白堊、五階建の、ちょうど、昇って三階目、空に聳えた滑かに巨大なる巌を、みしと切組んだようで、芬と湿りを帯びた階段を、その上へなお攀上ろうとする廊下で・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
怪談の種類も色々あって、理由のある怪談と、理由のない怪談とに別けてみよう、理由のあるというのは、例えば、因縁談、怨霊などという方で。後のは、天狗、魔の仕業で、殆ど端睨すべからざるものを云う。これは北国辺に多くて、関東には少・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
近ごろ近ごろ、おもしろき書を読みたり。柳田国男氏の著、遠野物語なり。再読三読、なお飽くことを知らず。この書は、陸中国上閉伊郡に遠野郷とて、山深き幽僻地の、伝説異聞怪談を、土地の人の談話したるを、氏が筆にて活かし描けるなり。・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ 一体、外套氏が、この際、いまの鹿落の白い手を言出したのは、決して怪談がかりに娘を怯かすつもりのものではなかった。近間ではあるし、ここを出たら、それこそ、ちちろ鳴く虫が糸を繰る音に紛れる、その椎樹――(釣瓶(小豆などいう怪ものは伝統・・・ 泉鏡花 「古狢」
出典:青空文庫