・・・客観的には元から幽霊は幽霊であったのだが、昔それに無い内容を嘘き入れて、有りそうにした主観までが、今は消え失せてしまっている。怪談だの百物語だのと云うものの全体が、イブセンの所謂幽霊になってしまっている。それだから人を引き附ける力がない。客・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・ 河岸通りに向いた方は板囲いになっていて、横町に向いた寂しい側面に、左右から横に登るようにできている階段がある。階段はさきを切った三角形になっていて、そのさきを切ったところに戸口が二つある。渡辺はどれからはいるのかと迷いながら、階段を登・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・ 灸は指を食わえて階段の下に立っていた。田舎宿の勝手元はこの二人の客で、急に忙しそうになって来た。「三つ葉はあって?」「まア、卵がないわ。姉さん、もう卵がなくなってしまったのね。」 活気よく灸の姉たちの声がした。茶の間では銅・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・その方を見ると、浴客が海へ下りて行く階段を、エルリングが修覆している。 己が会釈をすると、エルリングは鳥打帽の庇に手を掛けたが、直ぐそのまま為事を続けている。暫く立って見ている内に、階段は立派に直った。「お前さんも海水浴をするかね」・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・それは当時の予にとって人間生活の最高の階段であった。そうしてかくのごとき気分と思想とが漸次近代偶像破壊者の模倣に堕して行ったことには、ついに思い及ぶところがなかった。 予は当時を追想して烈しい羞恥を覚える。しかし必ずしも悔いはしない。浅・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・それは、ここで主として問題としたような、推古仏の源流を思わせるあの仏像の様式について言えるのみならず、また戒壇院の四天王などのような天部像についても言えるであろう。表情を恐ろしく誇張して現わしながら、しかも嘘に陥らず現実性を失わない面相や肢・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫