・・・ところがその男のよく飼い馴らしたと見える鴉が一羽この男の右の片膝に乗って大人しくすまし込んでいる。そうして時々仔細らしく頭を動かしてあちらを向いたりこちらを向いたり、仰向いたり俯向いたりするのが実に可愛い見物である。しかるに、不思議なことに・・・ 寺田寅彦 「鴉と唱歌」
・・・に通じ χι※ マレイの kpala は「かむり」「かぶり」の類である。 和名鈔には「顱 和名加之良乃加波長 脳蓋也」とあるそうで「カハラ」は頭の事である。ギリシアやマレイとほとんど同一である。 アラビアの頭骨 qahfun は「カ・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・仰向きに泥だらけの床の上に落ちて、起き直ろうとして藻掻いているのである。しばらく見ていたが乗客のうちの誰もそれを拾い上げようとする人はなかった。自分はそっとこの甲虫をつまみ上げてハンケチで背中の泥を拭うていると、隣の女が「それは毒虫じゃあり・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・近ごろの新しい画学生の間に重宝がられるセザンヌ式の切り通し道の赤土の崖もあれば、そのさきにはまた旧派向きの牛飼い小屋もあった。いわゆる原っぱへ出ると、南を向いた丘の斜面の草原には秋草もあれば桜の紅葉もあったが、どうもちょうどぐあいのいい所を・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・羊飼いは子供でも長い杖を持っているが、あれはなんの用にたつものか自分は知らない。牧羊者の祖先が山地の住民であったためか、それとも羊を追い回しおおかみでも追い払うために使われたものか、ともかくもいわゆるステッキとはだいぶちがったものである。そ・・・ 寺田寅彦 「ステッキ」
・・・犬は自分の汚さは自覚していないが、しかし癢いことは感ずるから後脚でしきりにぼりぼり首の周りを掻いていた。近頃のきたない絵もやはり自分のきたなさは感じないがその癢さを感じてぼりぼりブラシで引掻いたような痕が見える。 きたなく汚れて、それで・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・親類の家にも、犬はいても飼い猫は見られなかった。猫さえ見れば手当たり次第にものを投げつけなければならない事のように思っていた。ある時いた下男などはたんねんに繩切れでわなを作って生けがきのぬけ穴に仕掛け、何匹かの野猫を絞殺したりした。甥のある・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 自分の過去帳に載せらるべくしてまだ載せられてないものには三匹の飼い猫がある。不思議な事には追懐の国におけるこれらの家畜は人間と少しも変わらないものになってしまっている。口もきけば物もいう。こちらの心もそのままによく通ずる。そうして死ん・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・此方の揚ったのは、忰の骨揚げのすんだ翌日でしたっけがね、私も詳しいことも知らねえが、△△中の船頭を一週間買いあげて、捜したそうです。これは×××大将の方からも、入費が出たそうで……その骨揚の日には、私も寄ばれましたっけが、忰の筺の品を二品ほ・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・「ええ、効性がないもんですから、いつお出でたんですの」おひろは銚子を取り上げながら辰之助に聞いたりした。「伯父さんの病気でね」「ああ、松山さんでしょう。あの体の大きい立派な顔の……二三日前に聞きましたわ。もう少し生きていてもらわ・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫