・・・彼は家の焼ける前に家の価格に二倍する火災保険に加入していた。しかも偽証罪を犯した為に執行猶予中の体になっていた。けれども僕を不安にしたのは彼の自殺したことよりも僕の東京へ帰る度に必ず火の燃えるのを見たことだった。僕は或は汽車の中から山を焼い・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 父は例の手帳を取り出して、最近売買の行なわれた地所の価格を披露しにかかると、矢部はその言葉を奪うようにだいたいの相場を自分のほうから切り出した。彼は昨夜の父と監督との話を聞いていたのだが、矢部の言うところはけっしてけたをはずれたような・・・ 有島武郎 「親子」
・・・それから開墾当時の地価と、今日の地価との大きな相違はどうして起こってきたかと考えてみると、それはもちろん私の父の勤労や投入資金の利子やが計上された結果として、価格の高まったことになったには違いありませんが、そればかりが唯一の原因と考えるのは・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・乳量が恢復せないで、妊孕の期を失えば、乳牛も乳牛の価格を保てないのである。損害の程度がやや考量されて来ると、天災に反抗し奮闘したのも極めて意義の少ない行動であったと嘆ぜざるを得なくなる。 生活の革命……八人の児女を両肩に負うてる自分の生・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・何品によらず私達が困って売る時には、買った時分の価格の三分の一にもならぬこと。思うに、はじめから、それ程の価値のない品物であるか、さもなければ、品物に価値のあるにかゝわらず、売手の足許を見て、安く価切るか何れかでなければならぬ。いずれにして・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・一本の外国煙草がひと一人の命と立派に同じ価格でもって交換されたという物語。私の場合、まさにそれであった。縄を取去り、その場にうち伏したまま、左様、一時間くらい死人のようにぐったりしていた。蟻の動くほどにも動けなかった。そのときポケットの中の・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ わが国で年々火災のために灰と煙になってしまう動産不動産の価格は実に二億円を超過している。年々火災のために生ずる死者の数は約二千人と見積もられている。十年たてば二十億円の金と二万人の命の損失である。関東震災の損害がいかに大きくてもそれは・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・その頃われわれが漢籍の種別とその価格とについて少しく知る所のあったのは、わたしと倶に支那語を学んでいた島田のおかげである。ここに少しく彼について言わなければならない。島田、名は翰、自ら元章と字していた。世に知られた宿儒篁村先生の次男で、われ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ところがそれがこの頃の薬品の価格の変動でだんだん欠損になって、どうにもしかたなくなったのです。わたくしはいろいろやって見ましたがどうしてもいけなかったのです。もちろんあの事業にはわたくしの全財産も賭してあります。すると重役会で、ある重役がそ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ボルドーには避難して来た人々があふれていて、キュリー夫人では重くて運びきれない百万フランの価格を持っている一グラムのラジウム入の箱を足許に置いたまま、危く駅前の広場で夜明しをしそうな有様であった。偶然、一人の官吏が彼女を助けた。やっと夜をし・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
出典:青空文庫