・・・まだ前髪の残っている、女のような非力の求馬は、左近をも一行に加えたい気色を隠す事が出来なかったのであった。左近は喜びの余り眼に涙を浮べて、喜三郎にさえ何度となく礼の言葉を繰返していた。 一行四人は兵衛の妹壻が浅野家の家中にある事を知って・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・彼は倉皇と振り返る暇にも、ちょうどそこにあった辞書の下に、歌稿を隠す事を忘れなかった。が、幸い父の賢造は、夏外套をひっかけたまま、うす暗い梯子の上り口へ胸まで覗かせているだけだった。「どうもお律の容態が思わしくないから、慎太郎の所へ電報・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・彼女は両手に顔を隠すが早いか、無我夢中に叫ぼうとした。が、なぜか声が立たない。その時彼女の心の上には、あらゆる経験を超越した恐怖が、…… 房子は一週間以前の記憶から、吐息と一しょに解放された。その拍子に膝の三毛猫は、彼女の膝を飛び下りる・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・が、それよりもさらにつらいのは、そう云う折檻の相間相間に、あの婆がにやりと嘲笑って、これでも思い切らなければ、新蔵の命を縮めても、お敏は人手に渡さないと、憎々しく嚇す事でした。こうなるとお敏も絶体絶命ですから、今までは何事も宿命と覚悟をきめ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・これには恵印も当惑して、嚇すやら、賺すやら、いろいろ手を尽して桜井へ帰って貰おうと致しましたが、叔母は、『わしもこの年じゃで、竜王の御姿をたった一目拝みさえすれば、もう往生しても本望じゃ。』と、剛情にも腰を据えて、甥の申す事などには耳を借そ・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・こんな晩に若い男女が畑の奥や森の中に姿を隠すのは珍らしい事でもないので初めの中は打捨てておいたが、余りおそくなるので、笠井の小屋を尋ねさすとそこにもいなかった。笠井は驚いて飛んで来た。しかし広い山野をどう探しようもなかった。夜のあけあけに大・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・僕はお母さんが泣くので、泣くのを隠すので、なお八っちゃんが死ぬんではないかと心配になってお母さんの仰有るとおりにしたら、ひょっとして八っちゃんが助かるんではないかと思って、すぐ坐蒲団を取りに行って来た。 お医者さんは、白い鬚の方のではな・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・ 思わず、その言に連れて振返ると、つれの浪路は、尾花で姿を隠すように、私の外套で顔を横に蔽いながら、髪をうつむけになっていた。湖の小波が誘うように、雪なす足の指の、ぶるぶると震えるのが見えて、肩も袖も、その尾花に靡く。……手につまさぐる・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 色の白いのは七難隠すと、昔の人も云った。しかしながら、ただ色が白いというのみで意気の鈍い女の顔は、黄いろく見えるような感がする。悪くすると青黒くさえ見える意気がある。まったく色が白かったら、よし、輪郭は整って居らずとも、大抵は美人に見・・・ 泉鏡花 「白い下地」
・・・「勝つも負けるも、女は受身だ。隠すにも隠されましねえ。」 どかりと尻をつくと、鼻をすすって、しくしくと泣出した。 青い煙の細くなびく、蝋燭の香の沁む裡に、さっきから打ちかさねて、ものの様子が、思わぬかくし事に懐姙したか、また産後・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
出典:青空文庫