・・・道悪を七八丁飯田町の河岸のほうへ歩いて暗い狭い路地をはいると突き当たりにブリキ葺の棟の低い家がある。もう雨戸が引きよせてある。 たどり着いて、それでも思い切って、「弁公、家か。」「たれだい。」と内からすぐ返事がした。「文公だ・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・「ナニ、車夫の野郎、又た博奕に敗けたから少し貸してくれろと言うんだ。……要領を得ないたア何だ! 大に要領を得ているじゃアないか、君等は牛肉党なんだ、牛肉主義なんだ、僕のは牛肉が最初から嗜きなんだ、主義でもヘチマでもない!」「大に賛成・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・山村水廓の民、河より海より小舟泛かべて城下に用を便ずるが佐伯近在の習慣なれば番匠川の河岸にはいつも渡船集いて乗るもの下りるもの、浦人は歌い山人はののしり、いと賑々しけれど今日は淋びしく、河面には漣たち灰色の雲の影落ちたり。大通いずれもさび、・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・されば小供への土産にと城下にて買いし菓子の袋開きてこの孤児に分つ母親もすくなからざりし。父は見知らぬ風にて礼もいわぬが常なり、これも悲しさのあまりなるべしと心にとむる者なし。「かくて二年過ぎぬ。この港の工事なかばなりしころ吾ら夫婦、島よ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・初は一人の下士。これが導火線、類を以て集り、終には酒、歌、軍歌、日本帝国万々歳! そして母と妹との堕落。「国家の干城たる軍人」が悪いのか、母と妹とが悪いのか、今更いうべき問題でもないが、ただ一の動かすべからざる事実あり曰く、娘を持ちし親々は・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「誰れかさきに、ここへ来た者があるんだ。」と武石が声を落して窓の中を指した。「俺れゃ、君が這入ったんかと思うて、ここで様子を伺うとったんだ。」「誰れだ?」「分らん。」「下士か、将校か?」「ぼっとしとって、それが分らないん・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・そして、対岸の河岸が、三十メートル突きだして、ゆるく曲線を描いている関係から、舟は、流れの中へ放りだせば、ひとりでに流れに押されて、こちらの河岸へ吸いつけられるようにやってくる。地理的関係がめぐまれていた。支那人は、警戒兵が寝静まったころを・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・「今月分はまるで貸しとったかも知れません。」 主人の顔は、少時、むずかしくなった。「今日限り、あいつにゃひまをやって呉れい!」「へえ、……としますと……貸越しになっとる分はどう致しましょうか?」「戻させるんだ。」「へえ、・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・ プロレタリア文学運動は、ゼイタクな菓子を食う少数階級でなく、一切のパンにも事欠いて飢え、かつ、闘争している労働者農民大衆の中にシッカリとした基礎を置き、しかも国境にも、海にも山にも妨げられず、国際的に結びつき、発展して行く。――そのハ・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・あとの将校と下士だけじゃ、いくさは出来んぞ。」 声が室外へ漏れんように小さく囁き合った。「やっぱし、怪我をして内地へ帰るんが一番気が利いてら。」「こん中にゃ、だいぶわざと負傷してきた奴があるじゃろうがい?」大西は無遠慮に寝台を見・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫