・・・試みに俳諧連句にしてみると朝霧やパリは眠りのまださめず 河岸のベンチのぬれてやや寒有明の月に薪を取り込んで あちらこちらに窓あける音とでもいったような趣がある。「イズンティット・ロマンティク」の歌の連・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
ここでかりに「縞模様」と名づけたのは、空間的にある週期性をもって排列された肉眼に可視的な物質的形象を引っくるめた意味での periodic pattern の義である。こういう意味ではいわゆる定常波もこの中に含まれてもいい・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・と「不可視」とは物理学的にだいぶ意味がちがう。たとえば極上等のダイアモンドや水晶はほとんど透明である。しかし決して不可視ではない。それどころか、たとえ小粒でも適当な形に加工彫琢したものは燦然として遠くからでも「視える」のである。これはこれら・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・その歌詞の中には、先生の名も他の多くの先生がたと一度に槍玉にあげられていた。そうして「いざあばれ、あばあれ」というのがこの愉快な歌のリフレインになっていたのである。 第二学年の学年試験の終わったあとで、その時代にはほとんど常習となってい・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・充分には聞きとり兼ねる歌詞はどうであっても、歌う人の巧拙はどうであってもそんな事にかまわず私の胸の中には美しい「子供の世界」の幻像が描かれた。聞いているうちになんという事なしに、ひとりで涙が出て来た。長い間自分の目の奥に固く凍りついていたも・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
一 デパートの夏の午後 街路のアスファルトの表面の温度が華氏の百度を越すような日の午後に大百貨店の中を歩いていると、私はドビュシーの「フォーヌの午後」を思いだす。一面に陳列された商品がさき盛った野の花のよ・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・日本の民衆音楽中でも、歌詞を主としない、純粋な器楽に近いものとしての三曲のごときも、その表現せんとするものがしばしば自然界の音であり、また楽器の妙音を形容するために自然の物音がしばしば比較に用いられる。日本人は音を通じても自然と同化すること・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・極度の恐怖が一部の神経を麻痺させて仮死の状態になっていたのか、それとも本能的の知恵でそうしていたのか、おそらく後者と前者が一つ事がらを意味するのではあるまいか。 このような騒ぎがあった後にも鼠族のいたずらはやまなかった。恐ろしいほど大き・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ やがて女中が高盃に菓子を盛って運んできた。私たちは長閑な海を眺めながら、絵葉書などを書いた。 するうち料理が運ばれた。「へえ、こんなところで天麩羅を食うんだね」私はこてこて持ちだされた食物を見ながら言った。「それああんた、・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 京橋区内では○木挽町一、二丁目辺の浅利河岸○新富町旧新富座裏を流れて築地川に入る溝渠○明石町旧居留地の中央を流れた溝渠。むかし見当橋のかかっていた川○八丁堀地蔵橋かかりし川、その他。 日本橋区内では○本柳橋かかりし薬研堀の溝渠・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫