・・・しかしやはり前日家人と沓掛行きの準備について話をしたとき、今度行ったらグリーンホテルで泊まってそこでたまっている仕事を片付けようと思う、というようなことも言った覚えがある。しかし、グリーンホテルを緑屋などと訳してみた覚えは全然ないのであるが・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・型式的概念的に堕した歌人の和歌などとは自ずからちがった自由な自然観が流露している。「青葉になりゆくまで、よろづにたゞ心をのみぞなやます」というような文句でも、国語の先生の講義ではとても述べられない俳諧がある。同じことを云った人が以前に何人あ・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・「国民小説」と名づけるシリースにいろいろの翻訳物が交じっていた。矢野竜渓の「経国美談」を読まない中学生は幅がきかなかった。「佳人の奇遇」の第一ページを暗唱しているものの中に自分もいたわけである。 宮崎湖処子の「帰省」が現われたとき当時の・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ このあいだ、ある歌人が来ての話の末に「今の若い人にさびしおりなどと言ってもだれも相手にしないであろう」という意味の意見を聞かされた。しかしこの青年などはさびしおりを処世術に応用しているほうかもしれないのである。 五・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・たとえば仏教思想の表面的な姿にのみとらわれた凡庸の歌人は、花の散るのを見ては常套的の無常を感じて平凡なる歌を詠んだに過ぎないであろうが、それは決してさびしおりではない。芭蕉のさびしおりは、もっと深いところに進入しているのである。たとえば、黙・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・私の知っているある歌人の話ではその知人の歌人中で自殺した人の数がかなり大きな百分率を示している。俳人のほうを聞いてみると自殺者はきわめてまれだという。もちろんこれは僅少な材料についての統計であるから、一般に適用される事かどうかはわからないが・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 家人に聞いてみると、せんだって四つ目垣の朽ちたのを取り換えたとき、植木屋だか、その助手だかが無造作に根こそぎ引きむしってしまったらしい。 植物を扱う商売でありながら植物をかわいがらない植木屋もあると見える。これではまるで土方か牛殺・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・ もう一度はK社の主催でA派の歌人の歌集刊行記念会といったようなものを芝公園のレストーランで開いた時の事である。食卓で幹事の指名かなんかでテーブルスピーチがあった。正客の歌人の右翼にすわっていた芥川君が沈痛な顔をして立ち上がって、自分は・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 水戸の御家人や旗本の空屋敷が其処此処に売物となっていたのをば、維新の革命があって程もなく、新しい時代に乗じた私の父は空屋敷三軒ほどの地所を一まとめに買い占め、古びた庭園や木立をそのままに広い邸宅を新築した。私の生れた時には其の新しい家・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 帽子をかくしたのは友達がわたしの家へ馬をつれて来たので、わたしは家人の手前を憚り、取るものも取り敢ず救を求めに来た如く見せかけようとしたのである。 事は直に成った。二人は意気揚々として九段坂を下り車を北廓に飛した。 腕車と肩輿・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
出典:青空文庫