・・・ 遺骸は町屋の火葬場で火葬に付して、その翌朝T老教授とN教授と自分と三人で納骨に行った。炉から引き出された灰の中からはかない遺骨をてんでに拾いあつめては純白の陶器の壺に移した。並みはずれに大きな頭蓋骨の中にはまだ燃え切らない脳髄が漆黒な・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・それでかりに地球歴史のある一定の時期において、ある特別の地点において、特殊の国語が急に発生したと仮定すると、それはちょうど水中にアルコホルの一滴を投じたと同様に四方に向かって拡散を始めるであろうと仮想される。すなわちその国語の語根のある一つ・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・ もっともいうまでもなく現在の新聞というものも本来はこの仮想的の一大機関と同じような役目を果たすために生まれたものであろう。ただそれが遺憾ながら理想的に行っていないために、ここにこのような問題が起こったわけである。 私の思考実験・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・後にはエーテルと称する仮想物質の弾性波と考えられ、マクスウェルに到ってはこれをエーテル中の電磁的歪みの波状伝播と考えられるに到った。その後アインスタイン一派は光の波状伝播を疑った。また現今の相対原理ではエーテルの存在を無意味にしてしまったよ・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・ これはただ極端な一例をあげたに過ぎないが、この仮想的の人間の世界と吾人の世界とを比較してもわかるように、吾人のいわゆる世界の事物は、われわれと同様な人間の見た事物であって、それがその事物の全体であるかどうか少しもわからぬ。 哲学者・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・上層と下層における魚類の色を自然淘汰によって説明した動物学者があるが、その基礎とするところは海中における光の吸収の研究である。また海岸の森林が魚類に如何なる影響があるかという問題があるが、これもいわゆる魚視界と名づける光学上の問題が多少関係・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・ ある宗派の修道者が、人から、何故死体を火葬にするかという理由を聞かれた時にこう答えた。死骸をそのままにしておけば蛆がわく。然るに蛆が食うだけ食ってしまっておしまいにその食物が尽きるとそれらの蛆がみんな死んでしまわなければならない。これ・・・ 寺田寅彦 「マルコポロから」
・・・また少し極端な例を仮想してみるとすれば、たとえばフランスでナポレオンの記念祭に大統領が演説したりする際に、もしも本物のナポレオンの声や、ウォータールーの砲声や、セントヘレナの波の音のレコードが適当に插入されたとしたら、それは実に不思議な印象・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・しかしもしも万一これら質的研究の十中の一から生まれうべき健全なるものの萌芽が以上に仮想したような学風のあらしに吹きちぎられてしまうような事があり、あるいは少しの培養を与えさえすればものになるべきものを水をやらないために枯死させてしまうような・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・Cといったような一人の仮想的個人の詩か小説であるのと何も変わったことはないであろう。 ここで考えているような立場からすれば、普通の文学的作品は一種の分析であるのに対して連句は一種の編成であるとも言われる。前者は与えられた一つのものに内在・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫