・・・ 然るに六十何人の大家族を抱えた榎本は、表面は贅沢に暮していても内証は苦しかったと見え、その頃は長袖から町家へ縁組する例は滅多になかったが、家柄よりは身代を見込んで笑名に札が落ちた。商売運の目出たい笑名は女運にも果報があって、老の漸く来・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・タラ、モウ一倍ラクナ事ダロウト思イマス近ゴロノ私ノ道楽ハ、何デモオモイ浮ンダコトヲ書ツケテオイテ、ソレガドレダケノ月日ヲ経タラ、フルクナルカト申スコトヲ試験シテオリマス、何ヲオ隠シ申シマショウ私モ華族ノ二男ニハ生レマセヌノデ、白米氏ニ敗・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・――そりゃア華族様の事ッた、」と頗る不平な顔をして取合わなかった。丁度同じ頃、その頃流行った黒無地のセルに三紋を平縫いにした単羽織を能く着ていたので、「大分渋いものを拵えたネ、」と褒めると、「この位なものは知ってるサ、」と頗る得々としていた・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・今でこそ樟脳臭いお殿様の溜の間たる華族会館に相応わしい古風な建造物であるが、当時は鹿鳴館といえば倫敦巴黎の燦爛たる新文明の栄華を複現した玉の台であって、鹿鳴館の名は西欧文化の象徴として歌われたもんだ。 当時の欧化熱の中心地は永田町で、こ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・もし私に家族の関係がなかったならば私にも大事業ができたであろう、あるいはもし私に金があって大学を卒業し欧米へ行って知識を磨いてきたならば私にも大事業ができたであろう、もし私に良い友人があったならば大事業ができたであろう、こういう考えは人々に・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・麗わしい家族制度のためにも、私は、お母さんが、いつも家庭の人たらんこと望むのであります。しかし、それはいまのところ出来ぬ話でありますが、お母さんが、家にいる時、仕事に気を取られていたとする。或は、何か考え事などあって、子供の返事どころでなか・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・「――十人家族で、百円の現金もなくて、一家自殺をしようとしているところへ、千円分の証紙が廻ってくる。貼る金がないから、売るわけだね。百円紙幣の証紙なら三十円の旧券で買う奴もあるだろう。すると十枚で三百円だ。この旧券の三百円を預けるとその・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・いつか安子は団長に祭り上げられて、華族の令嬢のような身なりで浅草をのし歩いた。ところがこのことは直ぐ両親に知れて、うむを云わさぬ父親の手に連れられて、新銀町へ戻された。 戻ってみると、相模屋の暖簾もすっかりした前で職人も一人いるきりだっ・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・自分は大した贅沢な生活を望んで居るのではない、大した欲望を抱いて居るのではない、月に三十五円もあれば自分等家族五人が饑彼にはよくこんなことが空想されたが、併しこの何ヵ月は、それが何処からも出ては来なかった。何処も彼処も封じられて了った。一日・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・町の高みには皇族や華族の邸に並んで、立派な門構えの家が、夜になると古風な瓦斯燈の点く静かな道を挾んで立ち並んでいた。深い樹立のなかには教会の尖塔が聳えていたり、外国の公使館の旗がヴィラ風な屋根の上にひるがえっていたりするのが見えた。しかしそ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫