・・・そこでかれは糸の一条を語りはじめた。たれも信ずるものがない、みんな笑った。かれは道すがらあうごとに呼びとめられ、かれもまた知る人にあえば呼びとめてこの一条を繰り返し繰り返し語りて自分を弁解し、そのたびごとにポケットの裏を返して見せて何にもも・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・博士は再び無邪気らしい、短い笑声を洩して語り続けた。「あればかりではないよ。己の処へは己の思付を貰いに来る奴が沢山あるのだ。むつかしく云えば落想とでも云うのかなあ。独逸語なら Einfaelle とでも云うのだろう。しかし己は嘘は言わな・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・それに私を苦めることが、秋水のかたり物に劣らぬのは、婆あさんの三味線である。この伴奏は、幸にして無頓著な聴官を有している私の耳をさえ、緩急を誤ったリズムと猛烈な雑音とで責めさいなむのである。 私は幾度か席を逃れようとした。しかし先輩に対・・・ 森鴎外 「余興」
・・・耳よりな……語りなされよ」「かたり申そうぞ。ただし物語に紛れて遅れては面目なかろう。翌日ごろはいずれも決めて鎌倉へいでましなさろうに……後れては……」「それもそうじゃ,そうでおじゃる。さらば物語は後になされよ。とにかくこの敗軍の体を・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「ほほ御主、その時の軍に出なされたか。耳よりな……語りなされよ」「かたり申そうぞ。ただし物語に紛れて遅れては面目なかろう。翌日ごろはいずれも決めて鎌倉へいでましなさろうに……後れては……」「それもそうじゃ,そうでおじゃる。さらば・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 女は聞かなかった様子で語り続けた。「わたくしは内へ帰りますの。あちらでは花の咲いている中で、悲しい心持がしてなりませんでした。それに一人でいますのですから。」「あなたはまだ極くお若いのでしょう。ねえ、お嬢さん。」この詞を、フィンク・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・静かな、聞こえるか聞こえないほどの声で、たましいの言葉を直接に語り出させようとするような、あのメエテルリンクの芝居が、耳を聾するようなワグナアの音楽にも劣らず人心を動かしたのは何ゆえであるか。それを知るものはただ調子の弱さをもってこの画を責・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫