・・・尤もある画を見ると色彩については線法や構図に対するほどの苦心はしていないかと思われるのもないではないが、しかし簡単な花鳥の小品などを見ても一見何らの奇もないような配色の中に到底在来の南画家の考え及ばないと思われる創見的な点を発見する事が出来・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・しかしそれと同じような絵で、もっと好いのを前にどこか他所で見たような気がし出して来ると、私の眼は自然にその隣りの小型の美人画や花鳥画に移って行ったりする。 二室三室と移って行くうちに、始めの緊張した心持は孔のあいた風船玉のようにしぼみ縮・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・床の間に山水花鳥の掛け物をかけるのもまたそのバリアチオンと考えられなくもない。西洋でも花瓶に花卉を盛りバルコンにゼラニウムを並べ食堂に常緑樹を置くが、しかし、それは主として色のマッスとしてであり、あるいは天然の香水びんとしてであるように見え・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ こういうふうな立場から見れば「花鳥諷詠」とか「実相観入」とか「写生」とか「真実」とかいうようないろいろなモットーも皆一つのことのいろいろな面を言い現わす言葉のように思われて来るのである。 短歌もやはり日本人の短詩である以上その中に・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ わくに張った絵絹の上に山水や花鳥を描いているのを、子供の私はよくそばで見ていた。長い間見ていても、ほとんど口をきくという事はなかった。しかし、さも楽しそうに筆を動かしては楊枝をかんでながめているのを、そばで黙って見ているのがなんとなく・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・青蚊帳に微風がそよいで、今日も暑そうであったが、ここは山の庵にでもいるような気分であった。お絹はもう長いあいだ独身で通してきて、大阪へ行っている大きな子息に子供があるくらいだし、すっかり色の褪せた、おひろも、辰之助の話では、誰れかの持物にな・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・画家文士の如き芸術に従事する人たちが明治の末頃から、祖国の花鳥草木に対して著しく無関心になって来たことを、むしろ不思議となしている。文士が雅号を用いることを好まなくなったのもまた明治大正の交から始った事である。偶然の現象であるのかも知れない・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 虫籠、絵団扇、蚊帳、青簾、風鈴、葭簀、燈籠、盆景のような洒々たる器物や装飾品が何処の国に見られよう。平素は余りに単白で色彩の乏しきに苦しむ白木造りの家屋や居室全体も、かえってそのために一種いうべからざる明い軽い快感を起させる。この周囲・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・先ず案内の僧侶に導かれるまま、手摺れた古い漆塗りの廻廊を過ぎ、階段を後にして拝殿の堅い畳の上に坐って、正面の奥遥には、金光燦爛たる神壇、近く前方の右と左には金地に唐獅子の壁画、四方の欄間には百種百様の花鳥と波浪の彫刻を望み、金箔の円柱に支え・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・太十は番小屋の穢い蚊帳へ裸でもぐった。西の空に見えた夕月がだんだん大きくなって東の空から蜀黍の垣根に出るようになって畑の西瓜もぐっと蔓を突きあげてどっしりと黄色な臀を据えた。西瓜は指で弾けば濁声を発するようになった。彼はそれを遠い市場に切り・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫