・・・ただし括弧の中にあるのは僕自身の加えた註釈なのです。―― 詩人トック君の幽霊に関する報告。 わが心霊学協会は先般自殺したる詩人トック君の旧居にして現在は××写真師のステュディオなる□□街第二百五十一号に臨時調査会を開催せり。列席せる・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・そりゃ、しゃくるぞ、水汲むぞ、べっかっこだ。小児等の糸を引いて駈るがままに、ふらふらと舞台を飛廻り、やがて、樹根にどうとなりて、切なき呼吸つく。暮色到る。小児三 凧は切れちゃった。小児一 暗くなった。――ちょうど可い・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ といと厳かに命じける。お貞は決する色ありて、「貴下、そ、そんなことを、私にいってもいいほどのことがあるんですか。」 声ふるわして屹と問いぬ。「うむ、ある。」 と確乎として、謂う時病者は傲然たりき。 お貞はかの女が時・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・背中へ、べっかっこで、というと、カタカタと薄歯の音を立てて家ン中へ入ったろう。私が後妻に赤くなった。 負っていたのが、何を隠そう、ここに好容色で立っている、さて、久しぶりでお目にかかります。お前さんだ、お米坊――二歳、いや、三つだったか・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・、されば聊かの用意だにあれば、日常の食事を茶の湯式にすることは雑作もないことである、只今日の日本家庭の如く食室がなくては困る、台所以外食堂というも仰山なれど、特に会食の為に作れる食堂だけは、どうしても各戸に設ける風習を起したい、それさえ出来・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・それは、確乎たる存在である。 もし、それが詩人であったなら、また、他の芸術家であったなら、いずれでもいゝ固く自己の本領を守って、犯されずに、存在することが、力であるのだ。即ち、それが正義であるのだ。その存在は、たとえ、小さな火であっても・・・ 小川未明 「名もなき草」
・・・そしてとにかく彼は私なぞとは比較にならないほど確乎とした、緊張した、自信のある気持で活きているのだということが、私を羨ましく思わせたのだ。 私はまた彼の後について、下宿に帰ってきた。そして晩飯の御馳走になった。私は主人からひどく叱られた・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・こういう次第で心内には一も確固不動の根柢が生じない。不平もある、反抗もある、冷笑もある、疑惑もある、絶望もある。それでなお思いきってこれを蹂躙する勇気はない。つまりぐずぐずとして一種の因襲力に引きずられて行く。これを考えると、自分らの実行生・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ そのほかロシヤでも、よゆうの少い沿海州の市民たちでさえも、全力をあげて日本を救えとさけび、フランス、イタリー、メキシコ、オーストラリヤでは、日をきめて興行物一さいをさしひかえ各戸に半旗を上げて、日本の不幸に同情を表し、義えん金を集めま・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・以下はその日の、座談筆記の全文である。括弧の中は、速記者たる私のひそかな感懐である。 さて、きょうは、何をお話いたしましょうかな。何も別にお話する程の珍らしい事もございませぬが、本当に、いつもいつも似たような話で、皆様もうんざりした・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
出典:青空文庫