・・・ 人間のごとき最高等な動物でも、それが多数の群集を成している場合について統計的の調査をする際には、それらの人間の個体各個の意志の自由などは無視して、その集団を単なる無機的物質の団体であると見なしても、少しもさしつかえのない場合がはなはだ・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・紙の尺度や竹の尺度などを比較させて見るもよかろうし、また十グラムの分銅二つと二十グラムの分銅一つとを置換して必ずしも同じでない事を示し、精密なる目的には尺度の各分劃、分銅の各個につき補正を要する事や、温度による尺度の補正などの事も、少なくも・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・もし各個の質量が同一で間隔も同一ならば、これらの引力の総和は丁度前に出した収斂級数で表わされ従って有限なものになる。もしも重力が距離の自乗に反比例せずして距離自身に比例するのであったら結果は収斂しないのである。 もし物質間の引力が距離に・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・しかしこの問題については、わたくしは確乎とした考を持っていない。今日に至るまでこれを思考することができなかったとすれば、恐くは死に至るまで、わたくしは依然として呉下の旧阿蒙たるに過ぎぬであろう。 わたくしは思想と感情とにおいても、両なが・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・其所にその人の自信なり、確乎たる精神なりがある。その人を支配する権威があって初めてああいうことが出来るのである。だから親鸞上人は、一方じゃ人間全体の代表者かも知らんが、一方では著しき自己の代表者である。 今は古い例を挙げたが、今度はもっ・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・一事に功を奏すれば、したがってまた一事に着手し、次第に進みてやむことなくば、政府の政は日に簡易に赴き、人民の政は月に繁盛をいたし、はじめて民権の確乎たるものをも定立するを得べきなり。余輩、つねに民権を主張し、人民の国政にかかわるべき議論を悦・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・六十四校を順歴して毎校に講席を設くること一月六度、この時には区内の各戸より必ず一人ずつ出席して講義を聴かしむ。その講ずるところの書は翻訳書を用い、足らざるときは漢書をも講じ、ただ字義を説くにあらず、断章取義、もって文明の趣旨を述ぶるを主とせ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・とそう云ってくれ。」こう言い放ってオオビュルナンは客間を出た。脚本なら「退場」と括弧の中に書くところである。最も普通の俳優はこんな時「それではあんまり不自然で引っ込みにくいから、相手になんとか言わせてくれ」と、作者に頼むのが例になっている。・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・床へとまったのを見るとそれはかっこうでした。「鳥まで来るなんて。何の用だ。」ゴーシュが云いました。「音楽を教わりたいのです。」 かっこう鳥はすまして云いました。 ゴーシュは笑って「音楽だと。おまえの歌は、かっこう、かっこ・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・そういうときでも、なおその間に十分な同感、納得、評価が可能であるだけの確乎とした生活態度が互の生活に向っても一貫されているということこそ、稀有だろう。自分の生活、友の生活に向ってそれだけ強い意識をもちつづけ得るほどの強靭な人間性というものが・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
出典:青空文庫