・・・「庄屋の旦那が、貧乏人が子供を市の学校へやるんをどえらい嫌うとるんじゃせにやっても内所にしとかにゃならんぜ。」と、彼は、声を低めて、しかも力を入れて云った。「そうかいな。」「誰れぞに問われたら、市へ奉公にやったと云うとくがえいぜ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・そして、静かに、そこらにある車や、木切れなどを蹴散らさないように用心しいしい歩んだ。栗毛の肉のしまった若々しい馬は全速力で馳せのがれて来たため、かなり疲れて、呼吸がはずんでいた。 裏通りの四五軒目の、玄関とも、露台ともつかないような入口・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 山は、C川の上で、二ツが一ツに合し、遙かに遠く、すんだ御料林に連っていた。そこは、何百年間、運搬に困るので、樹を伐ったことがなかった。路も分らなかった。川の少し下の方には、衛兵所のような門鑑があった。 そこから西へ、約三里の山路を・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・て来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾が身が夫の身のまわりに附いてまわって夫を扱い、衣類を着換えさせてやったり、坐を定めさせてやったり、何にかかにか自分の心を夫に添わせて働くようにな・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・川のほとりに住めるものから、いつぞはこの川の出ずるところをも究め、武蔵禰乃乎美禰と古の人の詠みけんあたりの山々をも見んなど思いしことの数次なりしが、ある時は須田の堤の上、ある時は綾瀬の橋の央より雲はるかに遠く眺めやりし彼の秩父嶺の翠色深きが・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・いくら新聞では見、ものの本では読んでいても、まさかに自分が、このいまわしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は、一個もあるまい。しかも、わたくしは、ほんとうにこの死刑に処せられんとしているのである。 平生わたくしを愛してくれた・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・二度目かに娘は「お前はまだレポーターか」って、ケイサツでひやかされて口惜しかったといっていました。私はそんなことを口惜しがる必要はない。早く出て来てくれてよかったといゝました。 娘が家に帰ってくると、自分たちのしている色んな仕事のことを・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・彼女は一日も手放しがたいものに思うお新を連れ、預り子の小さな甥を連れ、附添の婆やまで連れて、賑かに家を出て来たが、古い馴染の軒を離れる時にはさすがに限りない感慨を覚えた。彼女はその昂奮を笑いに紛わして来た。「みんな、行って来るぞい」その言葉・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・早春の或る日、黄村先生はれいのハンチング(ばかに派手な格子縞そのハンチングを、若者らしくあみだにかぶって私の家へ遊びに来て、それから、家のすぐ近くの井の頭公園に一緒に出かけて、私はこんな時、いつも残念に思うのだが、先生は少しも風流ではないの・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
「官僚が悪い」という言葉は、所謂「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざや・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
出典:青空文庫