・・・世間に所謂女学生徒などが、自から浅学寡聞を忘れて、差出がましく口を開いて人に笑わるゝが如きは、我輩の取らざる所なり。一 既に優美を貴ぶと言えば、遊芸は自から女子社会の専有にして、音楽は勿論、茶の湯、挿花、歌、誹諧、書画等の稽古は、家計の・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・この俳句はその創業の功より得たる名誉を加えて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。誦するにも堪えぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体つける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 当時の運動の困難な状態が、運動に熟達していないわたしにまで過分な責任をわけ与えた。作家であるわたしが、指導的なジェスチュアなどというものを知らず、同志とよばれるものの具体性さえ知らないで、未熟さをむき出しに心情的に行為したことについて・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・私は寡聞にして殆ど女性の手になったものを知らない。一つには、女性の犯罪が原始的な故もある。獄中生活を記録し、批判するだけの教養があったら行わない犯罪が女囚には多い。それは頷ずけるが、教育あり、現代の社会に批判もある筈の人が、非常に不運な事情・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・が、私は寡聞で有名なゴンクール賞のほか評論に対する賞、優秀な新聞記者としての仕事に与えられる賞等、三つ四つ記憶しているきりである。アメリカのジャーナリズム及び文学に関する賞として一九一七年から始められているピュリッツァ賞、ソヴェト同盟のゴー・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・かかる日本文学古典上の評価の規準の推移に関するまとまったものとしては寡聞にして僅に久松潜一氏の『日本文学評論史』二巻があるばかりである。 きのう、そして今日の日本の文化の一般的実質が健全に発育し豊富であるというには未だ未だ遠い現実である・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ その時横田申候は、たとい主命なりとも、香木は無用の翫物に有之、過分の大金を擲ち候事は不可然、所詮本木を伊達家に譲り、末木を買求めたき由申候。某申候は、某は左様には存じ申さず、主君の申つけられ候は、珍らしき品を買い求め参れとの事なるに、・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ その時相役申候は、たとい主命なりとも、香木は無用の翫物に有之、過分の大金を擲ち候事は不可然、所詮本木を伊達家に譲り、末木を買求めたき由申候。某申候は、某は左様には存じ申さず、主君の申つけられ候は、珍らしき品を買求め参れとの事なるに、こ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・「過分のいたわりようじゃ。こりゃ、奴頭。早く連れて下がって道具を渡してやれ」 奴頭は二人の子供を新参小屋に連れて往って、安寿には桶と杓、厨子王には籠と鎌を渡した。どちらにも午餉を入れるかれいけが添えてある。新参小屋はほかの奴婢の居所とは・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫